第227回短編小説新人賞 選評 『スピカ』岩月きさらぎ

編集A ピアノに打ち込む少年たちのお話です。作品から「音楽」が聞こえてくるところは、とても良かったと思います。

青木 文章で音楽を表現するって、すごく難しいのに、それができていましたよね。うまいなと思います。文章そのものも美しかった。作者自身が楽しみながら「音楽」を文章化しているのが伝わってきて、とてもよかったです。

編集B 主人公はピアノが大好きで、それなりに才能もある。でも、主人公のさらに上をいく遥君が現れてからは、劣等感にさいなまれるようになってしまった。「天才と凡人」、みたいな話ですよね。テーマがちゃんとある作品なのは良かったと思います。ただ、ちょっと類型的というか、「よくある話」でもありましたね。

青木 「よくある話」であること自体は悪くないんです。むしろ、王道の物語を面白く描けるなら、それこそが最強かもしれない。でも今作は、キャラクター設定にもストーリーにも、読者を強く惹きつけるものがちょっと足りなかったかなという感じですね。

編集A こういったテーマの作品はすでにたくさん作られていますので、この作者オリジナルの魅力というものが、もっと欲しかったですね。といっても、なにも突飛なものを書けと言っているわけではありません。登場人物の配置やキャラクター造形などに、作者なりの工夫や新味みたいなものがもう少し見られればよかった、ということです。今のままでは、スタンダードな範囲に収まってしまっていますので。

青木 主人公の将暉と遥は、キャラクターが似てますよね。「遥のほうが才能が上」ということではあるんだろうけど、タイプとして似ている。ほぼ二人しか出てこない話なのですから、対比を際立たせるためにも、将暉と遥のキャラ設定にもう少し差をつけたほうがよかったと思います。

編集C 主人公は、もっと単純な性格の設定でも良かったんじゃないかな。例えばキャンプファイヤーの場面で、遥が連星に自分たちをなぞらえて話をするところがありますよね。「人は一人じゃない。必ずもう一人、重要な人がいて、互いに相手の力を利用して回っている」「だから、僕が海外に行っても、君は音楽をやめないでくれ」と、すごくわかりやすく説明してくれているのに、将暉は何のことだかわかっていないらしい。ここは引っかかりました。地道な努力で、天才・遥の背を必死で追い続けてきた将暉なら、遥の言わんとするところは読み取れたのではないでしょうか。

編集D 一方で、キャンプファイヤーの場面で将暉は、遥の左耳のことに既に気づいていますよね。

編集C そういう鋭さや思慮深さがある一方で、ラストの場面に至ってさえ、将暉は「遥が何を言っているのか俺にはよくわからない」なんて語っている。「スピカ」に関することになると将暉の察しが急に悪くなるのは、このラストシーンを描きたい作者の都合のように感じられてしまいます。これがもし最初から、「将暉はピアノが大好きなだけの直情型」という設定で描かれていたなら、そんなに気にならなかったと思うのですが。

編集A また、遥にとって主人公はものすごく特別な存在らしいのですが、その理由もよく分からなかったです。遥から見たら将暉は、「それなりに才能はあるけど、自分よりは劣る人」という位置付けなんじゃないかな。なのに、なぜだか遥は、将暉にすごく執心してますよね。

編集E 「僕と同じ人間がいたということに衝撃を受けた。ただピアノが好きで齧りついていたらいつの間にか遠くまで来てしまった愚か者が僕以外にもいたと知って、嬉しくなった」、といったことが理由として語られてはいますが、これはちょっと腑に落ちないです。

編集A 音楽の道を歩み続けている中で、そういう人にはたくさん出会っているはずでしょうからね。幼い頃から高名な音楽家に師事していて、音楽留学もしていて、国際コンクールで各国の演奏者としのぎを削っている遥にとって、将暉程度のピアノ好きは珍しくもないだろうと思えるのですが。

青木 ヒヨコの刷り込みじゃないけど、子供の頃に初めて出会った「自分の同類」だからなのかな? とは思うのですが、理由としてちょっと弱い気がしますね。

編集A 世界各国の「愚かなほどピアノに夢中な人」たちを見てきたうえで、なぜ今も主人公だけが遥にとって特別なのか。なぜ今も、主人公だけが遥の「スピカ」なのか。それこそがこの話の一番重要なところだと思うのですが、そこが描かれていなかったのは残念です。

編集C 読者としても、そこが一番知りたかったですよね。それも、エピソードを通して教えてほしかった。ラストで、遥本人の長台詞で全てを説明するというのは、小説の書き方としてはあまり上手いとは言えません。

青木 しかも、ストレートに語られてなお、すごく納得できるという感じではなかった。ラストで遥君が、「僕のスピカは、今でも君だけだ」みたいなことを言ってるのを聞いて、読者はちょっとびっくりするというか、「え、そうなの?」って思いますよね。遥君の気持ちは、作品からは読み取りにくかったです。

編集A 将暉もまさか自分が、自分より格段に優れている遥から、そんなにも深い思いを寄せられているとは想像もしていなかったですよね。だからラストで驚いているのだし、同時に、だからこそ胸に響くものがあった。作者はそういう話を書きたかったのかなと思います。ただ遥の気持ちは、読者にはうすうす気づかせてほしかったところです。ラストで将暉が、「えっ、そうなの? 僕が君のスピカ? 知らなかった。けど嬉しい」となるのはいいのですが、読者がラストで、「え、遥君、そんなこと思ってたの? へえー」と思うのでは、感動に繋がらない。主人公は気づいていないけど、読者は遥君の思いの深さにうっすら気づいていて、ラストではっきりと確信する、となるような描き方にしてもらえると、より作者の狙いが際立ったと思います。

編集C 将暉には、遥が「あいつには敵(かな)わない」と思うような何かがある、ということが描かれていればよかったですね。それこそ将暉はピアノバカで、何十時間でもぶっ続けで楽しく弾いていられるとか。

青木 テクニック的には遥君のほうが上なんだけど、ピアノにかける情熱は将暉のほうが強い、とかね。

編集B 即興でアレンジした超絶技巧のアニソンメドレーを弾いて、子供たちを喜ばせてあげるとかね。なんでもいいんです。「なるほど。だから遥は、主人公に一目置いているのか」と読者に伝わるエピソードがあればよかった。ラストで遥は、「将暉に出会って衝撃を受けたんだ」と言っていますが、その出会いの場面での遥は、衝撃を受けているようには見えなかったです。

編集A むしろ、ちょっと上から見てる感じすらしますよね。「一音、抜けがあったね。次から運指を見直すといいよ」なんて、6歳の男の子が落ち着き払ってアドバイスをしている。

編集B 遥君をクールで完璧な天才キャラにしたかったのかもしれないけど、彼の考えや感情が作品から読み取りにくいので、ラストで吐露された心情も、ちょっと受け止めにくかったです。

編集F 私はこれは、「好きなものを、とことん好きになっていいんだよね」という話なのではと思います。二人ともピアノが大好きで、幼い頃から夢中になって弾き続けてきた。しかしそれは決して、楽しいだけの道のりではなかった。今、遥は左耳の聴力を失いかけ、将暉は音楽を職業にできないかもしれないという岐路にいる。未来に希望は見えない。それでも、どんなにみじめな状況に陥っても、ピアノを弾くことだけは絶対に手放さない、手放すことなどできないと二人は思っている。たとえ一生報われなくても、こんなにも打ち込めるピアノというものに出会ったことはかけがえのない幸福であり、その上、志を同じくする相手に幼くして出会い、互いに高め合いながら共に歩いていけるというのは、ほとんど奇跡と言ってもいい。今日、そのことを改めて胸に刻み、この先もずっと二人はピアノを弾き続けていくのだろうという話なのではないでしょうか。すごく素敵だなと思って、高評価しています。

編集A そうですね。たしかにそのストーリーラインは魅力的ですが、私は現状ではそういう物語になっていないと感じました。

編集D 「大好きなピアノを、これからも弾き続けていこうね」という結論で終わるには、「コンクール」とか「プロのピアニスト」という要素の比重が大きすぎるように思います。

青木 音大に進んだ主人公は、才能豊かな学友たちの中であえぎながらも、日々研鑚を積み重ねている。ラフマニノフの演奏で始まる冒頭シーンには、読んでいる側もヒリヒリさせられるような緊張感がありました。そういう物語が、「とにかく僕たちは、この先もずっとピアノを弾いていくんだよね」で締めくくられるのは、ちょっと納得いかないですよね。

編集G 主人公の「音楽」へのスタンスも、よく分からないです。「ピアノが好き」の一念で、のびのびと才能を開花させていた主人公ですが、それはほんの一年ほどのこと。遥に出会って以降は、「遥を超えられない」という劣等感にひたすらさいなまれています。目の上の瘤のように、将暉の意識の中にはいつも「超えられない」遥がいて、将暉を苦しめ続けている。それはもう、遥と会って以降の将暉は、純粋に楽しくピアノを弾いたことはないのではと思えるほどです。遥は将暉を特別視しているようですが、将暉もまた、遥に強く囚われている。将暉は、「ピアノを弾く」ことより、「遥に勝つ」ことに気持ちが向かっているようにも思えます。コンクールでいい成績を残したいのは、プロになりたいからというより、遥を超えたいからなんじゃないかな。

編集H なのに、その苦悩がどう解消したのかは描かれていない。それまでずっと「遥への劣等感」が話の中心にあったのに、遥から「君は僕のスピカだよ」と言われたら急に、「この先も僕らはピアノを続けていく。それでいい」という結論になって終わってますよね。これは、話の軸がズレている気がする。

編集G 現状では、主人公が気持ちを持ち直したのは、「遥が僕を認めてくれているとわかったから」、というふうに読めてしまいます。気持ちが落ち込むのは遥が原因、上向くのも遥が原因。主人公は最後まで、遥に囚われ続けている。これでは、「音楽」に向き合っているとは言えないと思う。そして主人公のありようにも、ほぼ変化が見られない。もちろん、必ず変化がなければいけないという決まりはありませんが、こういう話なら、苦悩の日々を送った末に、将暉がどういう境地に達したのかは描かれていてほしかった。

編集H この話の着地点は、「今後もピアノを弾き続ける」ということではなく、「遥からの解放」になるべきだったのではないでしょうか。遥への嫉妬だとか劣等感だとか、そういう余計な思いから自分を解き放ち、純粋に楽しくピアノを弾く気持ちを取り戻す。それこそがこの主人公に必要なことであり、ラストで描かれるべき変化ではなかったかと思います。

編集D そもそも主人公は何を目指していたのでしょう? ピアノが好きで一心に練習して、音大に入ってコンクールに挑戦して。でも、その先は? 世界的なピアニストになれるのなんて、ほんのわずかな人だけですよね。ではそうなれなかったら、挫折したってことになるのでしょうか? 遥君も「どれだけ惨めな姿になっても、ピアノを続ける」と言っていますが、耳が不自由になってもピアノを弾き続けるのは「惨め」なこと? コンクールに入賞して華々しく活躍しなければ、音楽家とは言えないのでしょうか?

青木 将暉は「次のコンクールで結果を出せなければ音楽業界で生き残っていく道は絶たれる」と、悲愴な思いを抱えていますが、ここも引っかかります。音楽に携わる仕事は、幅広くありますよね。音大に入っているのならなおさら、選択肢はいろいろあると知っていそうなものなのですが。

編集D 将暉君にとっては、音大を出て自宅でピアノ教室を開いたりするのは、落伍者に等しいことなのでしょうか? そのあたりに関する将暉君の考えがよくわからなかったです。プロのピアニストになれるかもしれない、なれないかもしれないというギリギリのところで日々懸命にピアノに取り組む将暉君は、自分は何を目指しているのか、自分にとってピアノとは何なのかという根本的な問いにも、日々向き合わざるを得ないと思います。なのに現状では、将暉の苦悩は「プロになれないかも」ということに終始している。「芸術」という正解のない道を前に、主人公は何を考えているのかが深掘りして描かれていなかった。それはおそらく、作者もまた、そこを突き詰められていないからではと思います。

編集A 「自分のピアノ」というものを本気で追い求めるなら、遥に勝つだの負けるだの、そんなことにいつまでも囚われ続けてはいられないはずですよね。だから、主人公のありようと、ラストの結末の付け方に、どうしても違和感を覚えてしまう。「この先もピアノを続ける」「僕たちの関係はスピカだね」ということでオチがついたかのように描かれているから。

編集B もしかしたら作者は、この二人の少年の関係性が描きたかったのかもしれないですね。だから、「音楽」という要素を深掘りするところに、あまり目がいかなかったのかも。

青木 あるいは、「音」を文章で表現することが楽しくて、そちらにエネルギーを注いでしまったのかもしれない。ピアノの演奏シーンの「音」の描写には、とてもきらめき感があって、魅力的ですよね。文章は本当にうまいと思う。

編集A 最初にピアノを見たとき、「お母さんの歯」と「お父さんの眉」を思った。それが今は「黒いネクタイ」に見える、なんてあたりの描写もすごく良かった。だからこそ、「こんなに書ける人なのに、なぜ?」と感じてしまいます。文章力は高いのに、キャラクターやストーリーがちょっとボヤけていて、話に入り込めなかった。

編集D 「スピカ」である二人の関係性をメインに描きたいのであれば、話の中の「コンクール」の比重は減らした方がいいと思います。どうしても、「競争」「勝負」「優劣」といったものが前面に出すぎてしまいますので。

編集C コンクールの場面ではなく、ピアノや遥との出会いから物語を始めてもよかったのではないでしょうか。

青木 そうですね。読者に強くアピールする場面を冒頭に持ってくるというのはセオリーの一つではありますが、この作品に関しては時系列順に書いて、コンクールの場面は終盤の盛り上がりどころに設定してもよかったのではと思います。その方が、物語がうまく流れていく気がする。

編集D 何だったらもう、もっと先まで時間を進めて、将暉がピアノ講師として働いているあたりで、遥と再会させてもよかったかも。久しぶりに遥と語らう中で、ピアニストにはなれなかったけど、誇りを持って今の仕事をしているし、自分自身のピアノも一生かかって追求していくつもりだ、という将暉の思いが描かれれば、納得感のある話になったかもしれないと思います。

青木 それなら遥君もより一層、「やっぱり君は僕のスピカだ」という思いを強めるでしょうしね。そのストーリーラインはアリだと思います。あと、ピアノの演奏シーンの描写は素晴らしいのですが、もう少し減らしてもいいと思います。冒頭に将暉のラフマニノフ、中盤に「きらきら星変奏曲」の将暉バージョンと遥バージョン、終盤に遥のラフマニノフと、30枚の中にこれだけ詰め込むのは、さすがに多いかなと感じます。ここぞという決めシーンの一、二ヵ所だけにとどめ、減らした分の行数を別の描写に回せば、読者の疑問点の解消につなげることができると思います。

編集G 作品の軸がブレているのは、非常に気になりました。書き始める前に、何を主軸とする話なのかということを、作者はまず明確に定めておいてほしい。そして書き終わった後は時間を置いて読み直し、主軸に沿った話になっているかどうかを再度確認してほしいです。

青木 キャラクターに関しても同様です。ここまでの批評を振り返ると、「遥の気持ちがわからない」「将暉の考えがわからない」みたいな意見が多かったですよね。ストーリーというものは、各キャラクターの、その人ならではの考え方や行動に沿って進展していくわけですから、作者は事前に、キャラ一人ひとりのことをしっかりと把握しておいてほしい。もしやったことがないのであれば、一度キャラ表を作ってみるのもお薦めです。

編集B なぜか脇役のほうが印象的だったりしますよね。お父さんが幼い将暉君を膝に乗せてピアノを弾かせてやるシーンとか、すごくほっこりします。将暉君はかわいいし、お父さんの愛情深さも感じられる。

青木 最初に通ったピアノ教室の先生の描写も、とてもよかったです。先生にとって将暉君は自慢の生徒だから、遥が入会してきたときにドヤ顔で腕前を披露させたりする。なんとも微笑ましいです。

編集B メインのキャラがしっかりと整えられて、話に軸が通っていたら、ものすごく引き込まれて読めたはずですよね。ピアノで、星で、音楽に情熱を燃やす少年たちの強い絆の物語だなんて、素敵すぎるくらいです。本当にもったいなかった。

編集G 書ける人なのは間違いないので、今後のレベルアップのためにも、選評を参考にしながら、ぜひもう一度自分の作品をじっくり読み直してみてほしい。そして、自分が一番描きたかったことは何なのか、どうしたらそれをもっと的確に読者に伝えられるかを、再考してみてほしいです。