第227回短編小説新人賞 選評 『幸福な孤独』まかろん

編集A 一人称で語られる主人公目線で読んでいたら、ラストでひっくり返されるという作品です。いわゆる「信用できない語り手」の話で、面白かったです。

編集D 面白かったですが、これを「面白い」と評していいのか、ちょっと迷います。主人公のありようは、すごく哀しいなと私は思いました。現在35歳の主人公には、友達がいない。今はいないのではなくて、過去にもいなかった。これまでの人生で、友達はゼロ。もちろん男性との付き合いもなく、五年前から月に一度、ホストを買っている。といっても、会って食事をするだけの関係です。費用はすべて主人公持ち。お金を払わなければ、ちょっと一緒に食事をする人さえいない、という非常に孤独な人生を送っています。ただ、じゃあこれが極端な作り話かといえば、そんなことはないと思う。表立って自分から言わないだけで、「家族とは疎遠。友達も恋人もゼロ」という人は、実は結構いるんじゃないかと思います。主人公の孤独は、決して他人事ではないです。

編集A しかも主人公は、ちょっと複雑な家庭環境で育っていますよね。クレーマー気質のお母さんを反面教師にしたのか、他人と距離を取り、地味で目立たない存在となって生きてきた。

編集D ラストで彼女が、「実は執着していた」と判明する相手が、本気で恋愛感情を持っている人ですらないというのは、とても哀しかった。35年間生きてきて、主人公には関わり合う人が本当に誰一人いなかったわけですよね。大金をつぎ込んでやっと付き合ってもらっていたホストからも、「これで終了です」「罰金を払ってもらいます」と冷たく関係を切られ、今日からまた完全に独りぼっち。こんな状況にまでならざるを得なかった主人公の人生を思うと、胸が痛みます。とはいえ、この主人公は、読者が「好き」と思える人物ではないですよね。私も、彼女と友達になれるかと聞かれたら、正直、難しいなと思います。とても複雑な気持ちです。

編集F でも、読者にそこまで深い感慨を抱かせたのは、すごいことだと思います。そういった諸々をひっくるめて、やはり「面白い」と言っていいのでは?

編集D そうですね。ちゃんとエンタメ作品になっていて、とても良かったと思います。

編集A 直接的な恐怖アイテムは出てきませんが、実はホラーでもありますよね。「わたしはお母さんみたいにはならない」と思っていただろう主人公が、まんまと呪縛にかかってしまっていたという。

編集B 「お母さんみたいになるのは嫌だ」と思っていたのに、いつしかそのお母さんそっくりになってしまっている自分がいた。

編集F 「嫌われ者の自覚のない母は私よりは幸せだったに違いない」というのも、胸をえぐる一文です。お母さんを見て育った主人公は、客観的視点も持っている。理性的で、自己抑制が利いているところも確かにあるんです。でも、完全な制御はできていない。常軌を逸したお母さんの影響を、近くでずっと浴び続けて生きてきたから。

編集B いっそお母さんみたいに、「周囲にどう思われるかなんて意識もしない」ところにまで突き抜けられたら楽なのですが、主人公はそうはなれない。お母さんを見ながら育ったからこそ、お母さんのようには絶対なりたくない。

編集D なのに、ふと気づくと、同じようなことをやってしまっている。絶望しますよね、この状況は。

青木 皆から嫌われている、疎まれているという自覚がある分、主人公は余計に辛いですよね。

編集B とはいえ、主人公がエキセントリックな人物であるのも事実です。終盤に来るまでは、主人公の冷静な語りで話が進んでいくので、こちらもそのつもりで読んでいました。だからラストの、主人公の異常性がいろいろ判明するところでは驚かされました。

編集A 主人公は、お母さんみたいなクレーマーではないし、自分で自分を抑えてもいたんだけど、やっぱりどこか変だったわけですよね。

編集H 主人公の語りは非常に理知的で、真理を突いたような鋭い表現があったりする。その一方で、「中学生のとき、『あんたなんか友達じゃない』って叫ばれた」エピソードとかが出てくるので、一体どういうこと? と気になります。主人公の正体みたいなものが少しずつ顔を出してはくるんだけど、ラストに来るまで、ここまでのレベルとは思わなかった。

青木 ただ、主人公と蒼太君との会話とかを読む限りでは、主人公に嫌われそうな要素はあまり感じないですよね。聡明で、落ち着いている人という印象です。ラストで、「実は常軌を逸した嫌われ者」という真相になっているのですが、なんだかちょっとピンとこなかった。

編集F 職場でもうまくやれていないから、現在も孤独なんだろうと思いますが、ラストに来るまで、主人公の異常性みたいなものはほぼ感じませんよね。

青木 子供の頃は、お母さんのこともあって人とうまくつきあえなかったのでしょうけど、大人になった今でもどうしてそんなに嫌われているのか、孤独にしか生きられないのか。そのあたりを読者にさりげなく伝えるエピソードが、もうひとつくらいあってもよかったなと思います。

編集C 中学のときの、森さんとのエピソードも引っかかりました。この場面で、なぜ「つまんないんだよ!」という台詞が出てくるのか、よくわからなかった。森さんにとって主人公は、何が「つまらなかった」のでしょう?

編集F 「友達面してつきまとわないで!」ってことなんじゃないかな。森さんの方は友達とは思ってないのに、いつもくっついてこられて、以前から鬱陶しく思っていたのでは。

編集H 主人公は森さんを利用してますよね。おとなしそうな人に近づいて一緒に行動し、友達がいる態(てい)を装っている。森さんは、そこを見透かしていて、本当は快く思っていなかったのだろうと思います。

編集C 確かに、それで「不愉快よ!」とか「すり寄ってこないでよ!」とかならわかるのですが、「つまんないんだよ! 私に友達なんかいない!」という台詞はどういう意味なのか、今ひとつよくわからない。言葉選びが適切ではないようなところは他にもいろいろあって、ちょっと話に入り込みにくかったです。

青木 「鏡に映った自分がとても醜悪で、自分でもゾッとした」みたいな主人公の語りがありましたから、主人公は自分で認識しているよりもずっと、こびへつらうような卑屈な態度をとっていたのかもしれないですね。相手との距離感をうまくつかめないまま、くだらないことをペラペラ喋り続けて、森さんを嫌な気持ちにさせていたのかもしれない。だとするなら、そういうあたりをもう少し描写しておいたほうがよかったと思います。読者にも、「ああ、確かにこんな人いたらうんざりだな」とわかってもらえるように。

編集B ただ作者としては、ラストでドン! と読者を驚かせたいわけですよね。だから、終盤に来るまでは、主人公をあまり変な人として描写できない。この主人公は「信用できない語り手」ですから、読者に真相を気づかせないよう、「語り」の部分でミスリードさせることは可能です。でも、台詞は「事実」だから変えられない。そのあたりのせめぎあいの結果、現状のような、ちょっと腑に落ちない書き方になってしまったのかなと思います。

編集D その後の展開も腑に落ちなかったです。森さんはそれまで、地味でおとなしい陰キャとして定着していたんですよね。それが、授業中にいきなり「私に友達なんかいない!」と叫んで大泣きして、クラス中を唖然とさせた。なのに、ほどなく陽キャグループの一員に迎え入れられ、明るく楽しい毎日を送っている。これは一体どういうことなのでしょう?

青木 森さんというキャラクターは、ちょっとよく分からないですね。一貫性がないというか。

編集A 森さんに関する描写も、これまた主人公視点でしかないので、どこまで信用していいのかわからない。ただ読者からすると、どうにもうまく飲み込めないです。

編集C 全体的に、台詞もちょっと作り物めいていて、物語自体の生々しいトーンから浮いている気がします。「だって本当のことなんて無意味じゃない?」とか。

編集A 15枚目の蒼太の台詞ですね。ただ、このあたりのやり取りも、ちょっと意味が取りにくかった。「本当のこと」とは何を指しているのか、よくわからなくて。

編集B 蒼太君の言葉は、なんだか哲学めいてたりしますよね。嘘か本当かもわからなくて、つかみどころがない。

編集D 主人公に「刺されても知らないよ」と言われて、「既に刺されたんだよね」と返していますが、私はこれは嘘ではないかと思いました。蒼太君もまた、この主人公とは縁を切りたいと思っているので、適当な軽口を言っているのかなと。

編集B 蒼太は、人のあしらい方がなかなかうまい男子だなという気がします。意外に、デキるホストなのかもしれませんね。

青木 ただ、もしそうであるなら、もっと賢そうに描いてほしいし、嘘をついているなら、それが読者にしっかり伝わるように描いてほしいです。現状ではまだちょっと、描写が曖昧かなと思います。特に台詞は、たとえ語り手が信用できない人物であっても、それぞれの登場人物のキャラクター性を表現できるところなので、うまく活かしてほしいですね。

編集H 物語の構成も気になりました。まず、行方不明の少年の話から始まり、続いて清美さんの話、そして主人公のお母さんの話がかなりの分量で描かれ、主人公自身のことが描かれ始めるのは、10枚目あたり。これはちょっと遅すぎると思います。時間軸も行ったり来たりで、けっこう読みにくい。

青木 時間軸は、確かにわかりにくいですね。特に、年数関係はややこしいです。「二十二年前の夏」に「当時十三歳の私」、「当時三十五歳の清美さん」とか、色々出てくるので、こんがらがってしまう。

編集D 主人公には10歳の妹と8歳の妹がいて、清美さんには10歳の長女と5歳の次女がいる。主人公の母親と清美さんは同い年で、清美さんの長女と主人公のすぐ下の妹が同級生でと説明されても、こちらの頭が追いつかない。冒頭の少年は8年前に失踪していて、TV放送の3週間後に発見されたとか、とにかく情報が多いです。というか、多すぎます。

編集A 数字の情報とか固有名詞とかが出てくると、「重要かもしれない」と思って、とりあえず読者は覚えようとしますよね。でも、後から読み返すと、冒頭の失踪少年のエピソードはほぼ話に絡んでいなかった。

編集D 主人公が清美さんを思い出す流れにするための前フリなのですが、これは必要のないエピソードだと思います。

編集G 発見された失踪少年や超能力者のメリッサが、後々話に絡んでくるのかと思ったら、それっきり出てこなくて残念でした。清美さんをメリッサが見つけてくれるのかなとワクワクしていたのですが。

編集C 「未解決事件」的なものが冒頭で提示されると、やっぱり読者はそっち系の話を期待してしまいますよね。すごく興味を惹かれるモチーフです。でも、話の焦点がだんだんと「友達のいない、いびつな私」へとシフトしていくので、ちょっと肩透かしな印象を受けてしまいました。そちらが本当の主題であるなら、冒頭シーンもそれに関するものにした方がいいと思います。

編集A 「清美さん」の話も、分量が多すぎると思う。結局清美さんも、話には登場してきませんよね。不倫疑惑があるとか、細かい設定が施されている割に、ラストでちらっと引き合いに出される程度で、この作品の本筋にはあまり関係しない。主人公のお母さんのクレイジーさを表現するために必要な人物ではあるのですが、ここまで枚数を割かなくてもいいと思います。全てをちゃんと説明しようとし過ぎて、逆にわけがわからなくなっている。

青木 本来、描写には濃淡があっていいんです。薄くていいところは、さらっと書くだけでいい。頑張って全部をがっつり書いてしまうと、どこが重要なところなのかが埋もれて分からなくなってしまいます。一度書き上げたら、ちょっと引いた視点から物語全体を俯瞰してみて、話の主題にちゃんと重点を置いた書き方になっているかどうかを確認してみてほしいです。

編集D 書きたいことがたくさんあって、ちょっと作者の熱が入りすぎちゃったのではないでしょうか。

編集B 企みのある作品で、それは成功していたと思います。面白かった。

青木 しかも、単に読者を驚かせたのではなく、読者の心情を揺り動かすことができていた。ラストで明かされたのは、「実は主人公は悪いことをしていました」ではなく、「実は主人公は、深い孤独を抱えていました」というものでした。彼女が孤独なのは、彼女が誰も愛さないからではあるのですが、それは母親の影響を強く受けたせいでもある。友達がどうの、恋人がどうのという問題ではなく、とにかく自分を肯定してくれる人をこんなにも求めていたのかと思うと、すごく切ないですよね。

編集H 冷静沈着な人かと思えた主人公の、悲痛な心の叫びが聞こえてくるようなラストは忘れがたい。気になる点はいろいろありつつも、読み応えのある物語になっていたと思います。