第226回短編小説新人賞 選評 『世界一サイダーが美味い夏』風見鈴

編集F 文章のテンポが非常に良く、すらすらと読めるのがとてもいいなと思いました。展開にもスピード感があって、最後まで読者を飽きさせない。終盤で、クレーマーのおじいさんに毒舌を吐く場面も、読んでいてスカッとします。単純に、とても楽しく面白く読めました。

青木 文章がきれいで、読みやすいですよね。ラストも、主人公が気持ちを持ち直し、「また頑張ろう」と思えるようになっていて、よかったと思います。

編集F カタルシスのある話ですよね。理不尽な目に遭っても黙ってやり過ごすだけだった主人公が、「思いきってクレーマーに言い返す」という能動的な行動を起こしたことで、自分の殻を破ることができた。思いがけず周囲からの称賛も得られた。それにより、くすぶっていた主人公は、自己肯定感を取り戻すことができたわけです。自分から行動することによって主人公が変化し、明るい方向へ進んでいくという前向きな話になっていて、いいなと思いました。

編集B ただ、主人公の変化の描き方がちょっとズレているような気がして、私はなんだか引っかかりました。

編集E 私もです。「いつも呑み込んでばかりだった言葉を、勇気を出して言えるようになった」ということなら「主人公の変化」になり得るでしょうけど、「ついにブチ切れて、汚い言葉でクレーマーを罵倒した」というのは、果たして人間的成長と言えるのか、疑問に感じました。

編集B ラストで万波さんに褒めてもらえたことによって、自己肯定感がぐっと上がった、みたいな流れになっていますが、それならそれ以前のところで、主人公と万波さんの関係をもう少し描く必要があったと思います。そうでないと、主人公にとって万波さんの言葉がどれほど影響力を持つものなのかが、読み手に伝わってこない。

編集E 話の進め方にも、微妙にズレたところがあるような気がしました。例えば、3枚目から4枚目にかけてのところ。場面転換した一行目で主人公が、「だとしても最終面接で落とされるってそんなことあります?」と言っていますよね。こういう台詞が来るのなら、その直前部分には最終面接の様子が描かれているはずではないでしょうか。とある会社の最終面接で落ちたのなら、その最終面接でのやりとりに落ちた原因があるはずです。なのになぜ主人公は、「そういえば以前、就活コンサルタントに『あなたって、なにもないのね』と言われたことがある。きっとそれが落ちた理由だ」などと思っているのでしょう?

青木 確かに。1枚目で、「三十通目のお祈りメールが来て、がっくり」したあとにまず思い出すのが、就活コンサルタントとの面談、というのも不自然ですよね。普通は、その落とされた最終面接の場面を思い返して、「あそこでもっと強くアピールするべきだったのか。それとも、あの一言が余計だったのだろうか」などと逡巡するものではないでしょうか。

編集E また、就活へのやる気がプツンと切れたきっかけが「就活メイク講座」だったと書かれていますが、ここも引っかかりました。大学四年生の夏と言えば、一般的には就活も大詰めに近づいている時期のはず。そんな時期に今さらメイク講座を受けて、今さら「ささいな化粧の仕方ごときで判断されてしまうのか。そんなのやってられるか」という境地に陥るというのは、ちょっと解せない。こういうのは、就活を始めてすぐに直面することだと思います。「自分のアピールポイントは何か」というような自己分析も、就活の最初の段階で済ませているはず。今この時期になって、「自分には何もない」ことで悩んでいますという設定には、どうにも違和感がありました。また、内定がもらえていない大学四年の夏に、「理不尽でバカバカしいから、就活しばらくお休みします」「暇だから、バイトに精を出してます」なんて言ってられるものだろうかというあたりも疑問でした。気になるところがいろいろあって、私はちょっと話に入り込めなかったです。

青木 主人公はごく普通の真面目な子のように思うのですが、こんな子が内定をもらえないほど、今の就活って難しいのでしょうか? どこも人手不足だと聞きますが、売り手市場ではないのですか?

編集H 簡単ではないです。海外勢が多くなってきていますし、以前とは質の違う厳しさがあると思いますね。

編集B 就活事情は、時代によってかなり違ったものになりますよね。今作の中で描かれている就活は、10年くらい昔のもののような印象を受ける。もし、「今」を作品舞台にしているのであれば、もう少しそれが感じられる描き方にした方がいいのではという気がします。

編集C 他にも、説明や背景描写が足らないなと感じるところは多かったです。例えば先ほどの、4枚目の場面転換したところ。「ようやくレジの列が途切れ」とありますが、それがどういう場所に置かれているレジなのかわからない。主人公が今どういう状況にいて、「万波さん」が誰なのかもわからない。何枚も読み進むうちに、なんとなく「万波さんは正社員なのかな」「ここはたぶんスーパーかな?」とは思うのですが、実際に「スーパー」という言葉が出てくるのは17枚目です。全体に、情報提示がかなり遅いように思います。

青木 そこは私も気になりました。「だとしても最終面接で~」という最初の台詞の前に、何か一文入れておいたほうがいいですね。例えば、「スーパーでバイトを始めて2年になるけど、夏はいつもクーラーの効きが悪い」、とか。

編集A なるほど。その一文があるだけで、読者の理解度は全然違ってきますね。場面転換をしたときは、場所や状況の情報を、その場面の冒頭にさりげなく入れておいたほうがいい。作者が提示しない限り、読者にはわかりようがないですから。

青木 読者が状況を汲み取ってくれそうな単語を、ちょこっと出すだけでもいいんです。実際1枚目では、「リクルートスーツ」「お祈りメール」と出てきますから、「就活をしている」という直接的な説明がなくても、主人公の状況を読者は読み取れますよね。ここはうまい描き方ができていたと思います。そういう書き方が、全編にわたってできていたら良かった。

編集A この作者は、できるだけ「説明」をしないで物語を書こうと頑張っているように感じます。その姿勢はとてもいいと思いますが、きちんと入れておくべき基礎的情報というものはあります。現状では、ちょっとそこが不足気味でした。

編集C 長々と地の文で説明しなくても、会話の中にちらっと情報を入れ込んだりして、さりげなく読者に伝えることはいくらでも可能ですので、いろいろ工夫してみてほしいですね。

青木 この作者は、文章力はとても高いと感じます。解像度の高い、細かい描写が非常に上手ですよね。その手腕を、物語の基礎部分の説明にもぜひ活かしてほしいです。例えば、「鮭の塩こうじ焼き弁当を電子レンジに突っ込み」とか「(温めが)短すぎると米の芯が冷えたままで~」なんてあたりの、細かい描写はとてもうまかったと思います。主人公の日常の肌感覚というものが、よく伝わってきました。

編集E 確かに、うまいなと思える細かな描写は、全編にわたってありました。そこはすごくいい。ただ、「ディテールを描く」というのは、すべてを細かく描写するということではないです。例えば先ほどのお弁当のシーンなども、ここがもし具体的な描写ではなかったとしても、読者は「お弁当のメニューがわからない」と不満に思ったりはしないですよね。でも、主人公が今どこにいるのかとか、登場人物同士がどういう関係なのかといった、とても重要な部分に関しては、きちんと情報を提示する必要がある。

編集B 今はまだ、そのあたりの取捨選択がうまくいっていないですね。逆に、そこの判別がつくようになれば、細部描写に長けている分、読者を作品世界に強く引き込む話が書けるようになると思います。

編集C あと、私は主人公の人物像が、ちょっとうまくつかめなかったです。就活では落選続きで、自分のことを「どんくさい」と思っていて、パートのおばちゃんたちにもただ従うだけ。気の弱いおとなしい子なのかなと思いきや、一人称の語りの中ではけっこう毒舌も吐いているし、プチンと抑制が切れると、びっくりするような汚い言葉を喚き散らしたりもする。主人公は自分のことを、「律義にルールを守る、真面目でつまらない人間」と思っているようですが、私は読んでいて、そうは感じられなかったです。

編集E そこにもまた、微妙な「ズレ」が絡んでいるように思える。というのも、そもそもこの話は、主人公が就活コンサルタントから「あなたって、なんにもないのね」と言われ、実際就活もうまくいかなくて悶々としているところから始まっていますよね。それなら、何かをきっかけに主人公が自分の長所に気づき、袋小路状態から脱するという展開になるのが常道かなと思うのに、そういう方向にはストーリーが流れていかない。

編集D 作品のテーマと、話の展開やエピソードが、今ひとつつながっていないですよね。現状では、クレーマーを思いきり罵って今まで溜め込んだ鬱憤を晴らしたから、すっきりして主人公の気持ちが上向いた、という話のように読めてしまう。

編集E 万波さんは「カナさんのまっすぐなところが、私たちを救ってくれたんですよ」と言っていますが、たとえ相手がいけすかないクレーマーだとしても、「誰かをあしざまに罵倒すること」が、主人公の「まっすぐさ」を表現する適切なエピソードだとは思えないです。主人公が思いのたけをぶつけたはずの罵倒台詞も、ひたすら「このクソが! クソが! クソがぁ!」みたいな感じで、語彙に乏しい。感情的に喚いているだけで、「毅然とした対応」とは感じられませんでした。ここはこの作品の一番のハイライトなのですから、主人公はもう少ししっかりとした内容のある言葉で、クレーマーを撃退してほしかったです。

青木 確かに。そのほうが、周囲が主人公を見直したという展開に説得力が生まれますよね。

編集D 気持ちを抑え込んでいた主人公がついに爆発するという、明確に盛り上がりのある展開は面白かったのですが、その展開を作品の中心テーマにもっとうまく絡めてほしかったです。

編集A この主人公が、不器用なほど真面目な人物であることもまた、事実ですよね。だったらそこをオチに持ってくればいいと思うのですが。「私には何もない」と思っていた主人公が、ある出来事をきっかけに、「私はちゃんとルールを守る人間だ。それって大きな長所だ。とても私らしい長所だ」と気づく。そういう展開にすればよかったのではないでしょうか。

編集B なるほど。客という立場にふんぞり返っている迷惑なクレーマーを、主人公はぐうの音も出ない正論で正面から撃退する。その毅然としたまっすぐな対応を、周囲は称賛してくれた。それによって主人公は、自信とやる気を取り戻すことができたそれなら物語として、じゅうぶん成立すると思います。

青木 さらに言ってよければ、クレーマーのラケットおじいさんと就活の面接官を、存在としてダブらせたらなお良かったと思います。現状ではラケットおじいさんは、主人公にやり込められて退場するだけの人物でしかない。この「おじいさん」と「面接官」の存在を何らかの形でつなげられれば、ラストで話が「就活」にスムーズに戻ってきます。

編集E ほんのちょっとしたことでいいですよね。面接官に、「君は学生時代に打ち込んだことが何一つないのかね? 僕はテニスに明け暮れていたんだが」などと言われたことを、クレーマーのラケットを見て思い出すとか。

青木 そうそう。そういうちょっとした何かで、クレーマーと面接官のイメージが重なった。面接の場では委縮して言いたいことが言えなかった主人公だけど、思いきってクレーマーと正対してはっきりものが言えたことで、同じように堂々と背筋を伸ばして就活面接に臨めばいいのだという勇気と気づきを得た。そういう展開であれば、登場人物やアイテムが有機的に、そして効果的に絡み合ったと思います。

編集D 文章力は高いのですから、あとはもう少し作品全体を俯瞰で見て、エピソードがうまく繋がり合っているか、ちゃんと一本芯の通った話になっているかということを、冷静に見極められるようになってくれればと思います。でも、脇キャラの描き方とかは、悪くないですよね。パートのおばさんたちの細かい描写とか、面白かったです。

編集E 「ラケットおじいさん」もよかった。リュックにいつでもラケットを差していて、おとなしそうな店員を狙ってはネチネチ文句をつけて、好物はから揚げ(笑)。すごくイメージが湧きます。

編集D ただ、終盤でこのおじいさんは、値引きシールの貼り換えをやりますよね。これは明らかな不正行為です。彼にここまでさせるのは、ちょっとやりすぎかなと思います。法に触れないギリギリのラインを踏み越えてしまうと、単なる「クレーマー」ではなくなって、この物語自体が変わってしまう。これはあくまで、「嫌だけど手出しできなかった迷惑客」を、主人公が見事に撃退したという話なのですから。

青木 主人公の不器用なほどの真面目さが、長所として輝く場面ですよね。そういえば、主人公がどんなふうに「いつもルールを守っている」のか、具体的に滔々と語っている箇所がありました。あそこの文章なんて、すごくよかったです。この作者は本当に、細かい描写が上手いなと思います。

編集A 「夏は透明だ」という冒頭のフレーズを、ラストでリフレインさせていましたが、ここなども、なかなか心憎い演出だったと思います。ただ、話全体を振り返ってみると、唐揚げだとかクレーマーだとか「このクソが!」という罵声だとか、そういうものの印象のほうがどうしても強い。作者は、「夏」「透明」「サイダー」と、きらめき感のある作品にしたかったのかもしれないけど、読者はその方向では受け止めにくいかと思います。私はむしろ、このハチャメチャさこそが面白いと思うのですが。「のちに『から揚げ事変』と呼ばれるようになった」なんてところは、すごくユーモラスでいいですよね。

青木 同感です。「面接官に、『うーん、この子はアイラインが二ミリほど長いねえ』とか思われんのか。んなわけねえだろ」みたいなところも、笑えますよね。一人称で語られる地の文の中で、ユーモアあふれるツッコミを自分にも他人にも入れていたりして、すごく面白かった。こういうセンスはもっと活かしてほしいですね。

編集A 主人公と同様に、作者自身も、ご自分の長所にまだ気づいていないのかなと思います。もったいないですね。

編集E もっと思いきってはじけていいのに、と思います。終盤の盛り上がりシーンも、もう少し派手な動きがあった方がいいんじゃないかな。「から揚げ事変」とまで名づけられ、他部署にまで知れ渡るからには、クレーマーをただ罵倒するだけではなく、もっと大騒動が起こっていたはずではないでしょうか。もう、売り場がめちゃくちゃになるような。

編集A 主人公の正論に言い返せないクレーマーおじいさんが、逆ギレして、から揚げをラケットで打ってくるとかね。

編集E それを主人公が、お惣菜のトレーで打ち返すとか。

編集B 実はこのおじいさん、テニスは全然うまくなくて、こてんぱんにやられてしまうとか。ラケットを持ってるのはただの見栄だった。

編集A から揚げの油にまみれ、何度もツルツルすっ転びながら逃げていくとかね。

青木 想像がどんどん広がりますよね。まあ、どこまで話を破天荒に盛り上げるかは、作者の好みもありますので、そこはお任せしましょう。ただ、現状ではラストがちょっと、教訓めいた締めくくりになってますよね。これは、いらなかったかなと思います。ちょっと言葉で語りすぎている。そういえば、前回最終候補に残った作品も、ラストで登場人物が人生訓めいたことを語っていました。こういう締めくくり方が好きなのかもしれないけど、次は思いきって、話の構成がまったく違う作品に挑戦してみてもいいのではと思います。

編集A この作者は、かなり「書ける」方だと思います。細部描写は素晴らしいし、ユーモアのセンスもある。評中で指摘されたことも、この作者ならすぐに理解してくれそうだなと思います。楽しみに次作を待ちたいですね。