詫び針という拷問具 


 物見窓の向こうには、ごつごつした黒岩の小山がいくつも連なって見えた。
 (えん)()(ちょう)のある(めい)()を出た(けん)(しゃ)は、一路、()(かん)(しゅう)の北部にある鍛冶職人の街を目指している。
「いまから〈(ほむら)()(ふち)〉に行くんですよね?」
 軒車のなかでお供の獣人・()(もも)とならんで座っていた(すい)は、向かいの(てん)(よう)にたずねる。
「ああ。こないだの(ごう)(もん)()の評定会で一等をとった職人にちょっと会ってみたくてさ」
 物見窓を流れる景色をくつろいで眺めていた天鴦が答える。日々、亡者の審判に追われて多忙な閻魔王が息抜きできるのは、こうして視察に出るときくらいだ。
 ここは生きとし生ける者が(りん)()する(ろく)(どう)のうち、最下層にある()(ごく)(どう)、すなわち冥界である。
 行方不明の弟を探して冥府にやってきた翠は、閻魔王・天鴦のはからいで冥界の中枢となる閻魔庁の内廷で暮らすことになった。
 ふだんは台盤所の女官のひとりとして働いているが、この日は天鴦から五官州の視察に誘われたので同行することになったのだ。
「拷問具の評定会?」
 古桃が不思議そうに首をかしげると天鴦が答えた。
「毎年夏に行われる五官庁主催の催しだ。冥界の各地からあらたに考案された拷問具が集められて、その威力や意匠のほどを競いあう」
「一等をとった拷問具は正式に閻魔庁に採用されて、獄で実際に拷問具として使われるんですって」
「へー、すげえ名誉な話だな」
 古桃が耳をぴくつかせた。
「今年はどんな拷問具が一等だったんですか?」
 翠が問うと、
()(ばり)という自白系の小道具だった。罪人の舌に一刺しすると、かつて傷つけた者たちの(うめ)き声、泣き声、恨み言が延々と耳に聞こえるらしい。追体験することで後悔や恐怖で心が削られ、ついに罪を白状するという構造だそうだ」
 逃げようとすればさらにまた針を刺して苦しみを増幅させるのだという。
「刺されるだけでも痛いのに
 翠と古桃は顔をしかめる。
「最近の拷問具はいかに残酷な肉体的苦痛を与えられるかを競うものばかりで少々うんざりしていたんだが、詫び針は違った。亡者に追体験をさせることで反省を促すのが目的だそうだ。気づかせるための痛みなら意味があると俺は感心したんだよ」
 それで製作した者に興味がわいたという。


 五官州の北部にある〈焔ヶ淵〉。
 そこは地獄の鍛冶場と呼ばれ、罪人を裁くための拷問器具が鍛冶職人たちの手によって日々作られている。
 街は焔と煙と鉄の匂いに包まれていた。
 コン、カン、キイィン鉄槌(てつつち)の音が途切れることなく響いて鼓膜をふるわせる。
 石畳の敷きつめられた大路に入ると無数の工房が立ちならんでいて、罪人の骨を砕いて炉にくべる鬼たちの姿が見えた。
 街の中心部にある広場にたどりついて軒車を降りると、各工房から出向いてきた大勢の職人たちが(いん)(ぎん)に合掌して出迎えてくれた。
「こちらが先日の評定会にて一等をとった詫び針でございやす」
 そこの頭領らしき小柄な(ろう)()が、紫の布に包んだ一本の針を誇らしげに見せてきた。
「設計に半年、(せい)(れん)に二月をかけて作りあげた力作ですわ」
「ほう、よく研磨されているな」
 人形針よりもさらに太くて長い、五寸ほどもある鉄製の針だ。舌に刺したらさぞ痛いだろう。
 針を手にした天鴦はひとしきり鋭く(とが)った針先や触れ心地などをたしかめたあと、
「考案した(いち)という者は?」
 職人たちを見まわして問う。
「あっしでごぜえます」
 名乗り出たのは片方の角が欠けた中年の鬼だった。
 腰低く慇懃に挨拶をしたが、視線をまったく合わせず、どこか天鴦に(おび)えている印象を受けた。滅多にお目にかかれない冥界の王を前に()(しゅく)するのはめずらしいことでもないが。
「おまえが壱か。気づきを与えるための拷問具という発想は素晴らしいな。ただいたずらに責め続ける残酷なだけの拷問具よりよほど有意義でいい」
「は。ありがたきお言葉にごぜえます」
「この針一本で追体験をさせられるとは、いったいどのように製作したのだ?」
 天鴦が興味深げに問うと、
「こ、こちらは針先に罪の記憶を刺激する霊力を組み込める設計になっとりまして、怨念のこもった地獄鉄を用いて作ります。成型の段階では職人が怨念の冷めぬうちに(こん)(しん)の力を込めて七千回ほど打ちつけ、焼きなましの際には亡者の嘆きが染みこんだ灰に埋めてじんわりと冷ましてゆき
 壱は手短に製作工程を説明した。
 しかし話している最中も、やはりほとんど目を合わせようとしない。落ち着きなく視線を他所に泳がせているだけだ。
 ひととおり説明を聞いたあと、天鴦が気まぐれに言った。
「せっかくだから、試しにだれかにちょっと刺してみようか。威力を見てみたい」
「だれかとは
 職人一同がいっせいに口をつぐみ、その場に凍りついた。
「だれでもいいよ。評定会では五官王のとこで行儀が悪かった亡者が数人犠牲になったようだが」
 あいにくここには亡者はいない。見たところ、みな角のある鬼族ばかりだ。鬼族は頑強な者が多いから、針の一本や二本刺されたところでどうということもないはずだがしかし、

役を買って出る者はおらず、広場はしーんと水を打ったように静まり返った。
 いくら鬼でもあの太さの針で刺されればそれなりに痛いのかもしれない。そのうえ、おのれの最も隠したい罪をこの公衆の面前で暴露せねばならないのだ。だれも進んで手は上げられまい。
 すると天鴦がこちらを向いて、手にした針先をきらりと光らせた。
「翠に刺してみようか」
 冗談とわかっていたが、
「痛いのは嫌です」
 翠は(じゅう)(めん)をつくって一歩天鴦からはなれた。
「そもそもわたしはなにも罪は隠してないですし。きのう、戸棚の草だんごを沙戸とこっそりよぶんに食べたくらいかな」
「白状してどうする」
 天鴦は視線を翠のとなりに移し、
「おまえもなにもなさそうだな、古桃」
「うん。あたしもない。()(きり)様みたいなめりはりのある体になりたくて、ちょっと綿入れて胸の大きさ盛ってることくらいだな」
「はやく立派に育ててくれる男を探せ」
 天鴦が神妙に言うと、
「わしの場合は毎晩、風呂で足の裏を洗うのをサボってることくらいですな」
 向かいの頭領が声高に告白した。が、
「おまえのは訊いてない」
 天鴦は聞き流す。それは罪というより生活指導の(はん)(ちゅう)だ。
「いっそ天鴦様が試してみれば?」
古桃が言いだした。
「俺?」
「おお、たまには裁かれる側の立場を味わうのもおつなもんかもしれませんな。いかがです、閻魔王殿?」
 怖いもの知らずの頭領が手揉みしながらのってきて、みなの期待の視線が一気に天鴦に集まった。
 罪かどうかは別として、たしかに隠しているものは多そうだ。
 ところが天鴦は、
「べつにかまわないが、俺に刺したら(きょう)(てん)(どう)()のすごいことが判明して、明日から閻魔庁どころか冥府全体がまわらなくなるぞ。おまえたちももれなく飯の食い上げになるがいいのか?」
 とにっこり。
そいつァ困るんで、やめときやすわ」
 頭領が苦笑いし、天鴦の手から恐々と詫び針を受け取った。

 いったいなんの罪を隠しているのだろう。翠が眉をひそめたところで頭領が言った。
「こういうときはあれだな、やっぱ設計者本人がみずから体張って実証するしかねえですな。おい、壱」
 詫び針をさし向けられた壱がびくりと肩をふるわせた。
「あっしっすか、お頭?」
「ああ、おめえだ。ほれ、舌出してみな」
 頭領が壱に詰めよる。
「まあ、製作者みずからってのが定石ではあるな」
 天鴦までが同意して頷くので壱はたちまち蒼白になった。
「いや、あっしにゃ無理だ。べつのだれかで試してくだせえ。このとおりです」
 崩れるように土下座し、(こう)(とう)しだす。
「おい、なに言ってやがんだ。ここはおめえがひと肌脱ぐところだろうが」
「閻魔王の前で腰抜け発言すんじゃねえ」
 犠牲になりたくないほかの職人たちが(まなじり)を釣りあげる。
「いいや、無理だ。出来やせん。それだけは勘弁してくだせえ」
 壱は青ざめたまま立ちあがると、頭領の手から強引に詫び針を奪った。
「おいッ」
「こいつァ返してもらいます、お頭」
「どうした、壱?」
 天鴦がいぶかしんで問う。本人は怯えきってかなり深刻のようだ。
「す、すんません、そもそもこいつは一等をとる資格なんかねえんです。そうだ、も、もうこの際、一等はなかったことに(ほう)(しょう)(きん)もお返しするんで、どうかっ」
 壱は奪い返した針を握ったまま、ふたたび土下座して苦しげにくりかえす。
「なにもったいねえこと言い出すんだ、おめえはっ」
 まわりの仲間たちもうろたえだす。
「たしかにもったいないね」
 翠も不思議に思った。獄で拷問具が使用されているあいだは冥府から使用料が支払われるので、一等獲得者は一生遊んで暮らせる金が手に入ると言われている。にもかかわらず、そのありがたい権利さえも放棄してしまうとは
「頼むっ、頼むから勘弁してくだせえっ」
 壱は怯えながらも、声を張りあげてかたくなに(こば)み続ける。(あげ)()に、
「そ、そうだ、こ、これは実はまだ未完の失敗作なんでごぜえます。とても獄で使えるモンじゃねえ。こんなものっ、こうしてやるっ」
なんと腰に下げていた金槌をふりあげて針を打ち壊してしまったのだ。
 これには頭領をはじめ、一同がみなが目をむいた。
「こいつめ、なんという失態を」
「ばらばらに折れちまったじゃねえかっ」
「未完成はないだろう、評定会で一等をとったくらいなんだから」
 地面に散った針を眺め、天鴦が冷静につぶやく。
「申し訳ございません、閻魔王殿。ただちに作り直しやす。来月の献上会までには必ずッ」
 頭領が平伏した。
「壱、てめえ、ここまで精錬するのに何日かかったと思ってんだッ。また一からやりなおしじゃねえか、この大バカ野郎ッ」
まわりから()(とう)を浴びせられても、壱は叩頭したまま、歯を食いしばって耐えている。
(なんでここまで嫌がるんだろ?)
 翠はかたくなな壱が気になった。閻魔王の()(ぜん)でこの取り乱しようはさすがに不自然だ。下手したお手打ちになるかもしれないのに。
「壱はそんなに針が怖いのか?」
 古桃もかがんで壱の顔をのぞきこむ。
 針が怖いというより、なにか絶対に知られたくない過去を秘めているとしか思えない。
 天鴦もひっかかりをおぼえているようすだが、あえて無言で事態を見守っている。
「どうしようもねえ間抜け野郎で申し訳ごぜえません、閻魔王。詫び針はここまでにして、ささ、こちらへどうぞ。我々の鍛冶場をご覧くだせえ」
 職人たちが気を取り直して天鴦を取り囲み、さっさと先へと案内しはじめる。ご機嫌をとろうと必死だ。
 翠は地面に散らばった針をさりげなく拾いあつめ、布きれに包んだ。自分には壊れたものをもとに戻す不思議な力がそなわっている。それを使って、壱の拒絶の理由を探ってみようと思ったのだ。


 大路のはずれに、(すす)けた鬼面が門に掲げられた小さな工房があった。
 真紅の(のぼり)が風に(あお)られてはためいている。『罪を打つは炎と鉄』と(ぼく)(しょ)された文字が揺れている。
 翠は天鴦にはついていかず、工房の建物の裏手に行ってしまった壱のもとに古桃とふたりでむかった。
 詫び針はひそかに回帰の力を使ったため、翠の手の中で元の形を取り戻している。もちろん威力も変わらないだろう。威力があるのだとしたらの話だが。
 壱は煤けた壁の下に据えられた木箱に腰かけ、肩を落としてぼんやりしていた。足元には鍛冶くずれの鉄片がいくつも転がっているが見向きもしない。
 ふだんは鉄槌の音が絶えない工房だが、今日は静かだ。赤く錆びた煙突からは煙ものぼらず、かわりに遠くで地虫の声が聞こえる。「あいつ、ほんとに一等いらないのか?」
 古桃が物陰から壱を見ながらつぶやく。
「わからない。献上会は来月のはじめでしょ? あと二週間しかないよね」
 もしこれとおなじように製作して出すなら、もう間に合わない。
 壱はずいぶん気落ちしているようすだ。針を壊したことを悔やんでいるのではないか。
「壱さん」
 翠は思いきって壱に歩みより、声をかけた。
「これをご覧ください」
 顔をあげた彼に、布に包んだ詫び針を見せてみる。
「これは?」
 壱は目をみはった。
「あなたが作った詫び針ですよ」
 翠はほほえんだ。
「針はさっき叩き壊したはずだ。なんで元通りに、いったいどうなってんだ?」
 ばらばらになったはずの針が形を取り戻している。
「こいつはあっしが作った針か?」
 半信半疑のうちに、壱は針を手にする。
「もちろんです。わたしは壊れたものを元に戻す力を持ってるの。それで直したんです」
「壊れたものを元に?」
 そんなことができるやつがいるのかと、針をまじまじと眺めながら感心する。
 勢いにまかせて打ち壊してしまったが、不本意だったのだろう。顔つきはそれほどでもないが目はうれしそうだ。
「これ、ほんとうはちゃんと完成しているんですよね。閻魔王は感心してました。気づきを与えるための拷問具なら意味があると。せっかく時間をかけて良い道具を作ったのだから獄で活用させましょうよ」
 翠は励ますように言う。なにがあったのかわからないが、本人も本心ではそれを望んでいるようにみえる。
 壱はしばらく無言のまま、なにか考え込んでいるふうだった。
「なぜあんなに試されるのを拒んだんですか?」
 翠が問うと、壱は不思議そうにこちらを見た。
「あんたはなにもんなんだ? ただの天人族の女官じゃなさそうだな」
「わたしは天人族じゃありません。ただのツノナシよ」
「ツノナシ? そりゃすまねえ。てっきり天人族のお嬢さんだとばかり。なんでまたツノナシの娘が閻魔王に随行なんかさせてもらってるんで?」
いろいろと複雑な事情があって」
 説明するわけにもいかず、翠は苦笑いして濁す。
 壱はまた黙り込み、しばらくじっと針を見つめていたが、やがて決心がついたようで、あたりを見回してだれもいないのをたしかめたあと、声を落としてきりだした。
「でけえ声じゃ言えねえんだが実はあっしもツノナシだ」
 翠と古桃は目をみひらいた。
「おっさん、そのツノは付け角なのか?」
 古桃が壱の角を指さす。
 差別をまぬがれるために付け角をしているツノナシは多い。壱の場合、片方欠けているところがかえって現実味があって、実物にしか見えなかった。
「ああ。あっしァ、過去にあちこちで悪さをしてき賊あがりのならず者で。十年くれえ前に足を洗ってこの鍛冶場に流れついて、別人に成りすまして今日まで生きてきたんだ。ほかに行くアテもねえし、薄給でも罪滅ぼしと思って耐えてやってきた。針を刺して罪を吐いたら、たぶんもうここにはいられねえよ」
「そうだったの
 身分を偽装している元獄賊のお尋ね者といったところか。だからあんなにかたくなに罪の告白を拒んでいたのだ。
「十年も(しょく)(ざい)したなら許されるでしょう。それは壱さんの手柄でいいと思いますよ」
 いまは真面目な堅気の職人にしか見えない。
 しかし壱は針から目をそらした。
「みんなの前であんな派手に壊しちまったんだ、もう駄目だろ。閻魔王もきっとお怒りだ」
「天鴦様はそんなことで怒るようなお方ではないから大丈夫です」
「しかしなんて言い訳すんだ。あっしは身分を明かす気はねえ。いまさら示しがつかねえよ」
 針を壊した理由が説明できないという。
「そんなもん適当でいいじゃん。あれは偽物だったからとかで」
 古桃が胸を張って言った。
「なんで偽モンなんだ?」
「針が大事すぎて、なんかあったときのためにこっそり予備の偽物にすりかえておいたとかでいけ」
「そっか。それが閻魔王にばれるのが怖くて抵抗したって流れにするわけね?」
 偽物を御覧に入れるなんて失礼にもほどがあるからと。それならうまいこと(つじ)(つま)が合うではないか。
「なるほど
 壱も納得したようすだったが、ふたたび煮え切らない表情に戻ってしまった。
「しかしこいつァ、どのみちあっしだけの手柄じゃねえんだ」
「そうなの?」
 翠にも思いあたる節があった。針に回帰の力を使ったとき、どういうわけか脳裏にある人物の姿が(またた)いたのだ。
 それは翠がなんとなく知っている相手だった。だが、なぜ彼なのか。壱とはどう考えても接点がみつからない。ゆえに雑念による幻影が食い込んだのだと片付けたのだが
「あっしが設計に悩んでいるころにちょうど小僧が見習いとして入ってきた。そいつのおかげで完成させることができただけなんで」
「小僧?」
「ああ。獄や拷問具にえらく詳しい賢いやつでな。そいつの助言を受けながらようようと設計したのよ。あっしの力だけじゃとても完成はできなかっただろうよ」
 壱はおのれの力不足を認め、おおいに落胆しているようすで告げる。
 そんな事情もあったからこそ、みんなの前で追いつめられ、針を打ち壊してしまったのだ。
「そうだったんだ
 名残惜しげに針にふれる壱を見ながら、ようやく彼の不可解な行動が()に落ちた。そこで、
「ともに製作したのだからおまえの手柄でもある、誇りをもて」
 背後から声がして、三人はふりかえった。
「天鴦様
 いつのまにか天鴦が来ていた。気配をまったく感じなかった。
 壱はあわてて平伏した。一気に血の気がひいて青ざめた顔に戻る。
「もしかして、いまの話聞いてて
 翠もばつが悪くて上目で彼を仰ぐが、
「案ずるな。身分の偽装については今後、この拷問具が獄に貢献するであろう価値を見込んで大目に見てやろう。壱はこのまま工房で職務に励むといい」
 情けをかけてくれるようだ。
「へ、へえ。感謝いたしやすっ。ありがとうごぜえますっ」
 壱ははじかれたように叩頭して礼をのべた。
「ところで、その見習の少年とやらはどこに?」
気になっているようで、天鴦が問う。
「それが、わからないんでさ。しばらくうちに来てたがいつのまにか辞めて姿を消しちまいまして。そいつにも賞金を分けてやりてえと思ってたんだが」
「おっさん、いいとこあんじゃん」
古桃が褒めると壱はでへへと小さく照れる。
「どんなやつだったんだ?」
「十歳くらいの小生意気な子供でしたが顔の色つやも作りもよくて、ありゃあ天人族の血が入ってんな。身のこなしも妙にこなれてて、どっかの貴人の落としダネかもしれねえです」
「いなくなったところを見るとわけありだったのだろうな」
 天鴦がつぶやいたところで、
「こちらにおいででしたか」
 頭領たちが天鴦を見つけてやってきた。
 さきほど古桃が考えた言い訳をしながら、壱がふたたび元に戻った詫び針を見せると、
「おめえ、そんな用心深い性格だったか?」
 頭領は小首をひねりつつも、たしかに本物の詫び針があるのを目にし、ほっとしたようすで頬をゆるめた。うまく(だま)せたようだ。
 かくして詫び針は、予定通り、後日、閻魔庁でひらかれる拷問具献上会に出品されることになった。


 帰りの軒車にゆられながら、翠は回帰の力を使ったときに視た()()()()のことを天鴦にうちあけた。
「あれは五官王に見えました」
「五官王?」
 天鴦が意外そうに眉をあげた。
「ええ、たぶん。もちろん身なりは下っ端の見習い()(ぜい)でしたけど。お顔は何度か閻魔庁で、十王会議のときにお見掛けしているのでまちがいありません」
 はじめはここが五官州だったから、たまたま姿を視てしまっただけなのだと思っていたが、壱の話を聞いて確信した。
「どんなやつだっけ、五官王?」
 古桃は首をひねる。
「十一歳くらいの、黒髪の色白で冴えた目つきの男の子」
「あー、ひとりちっこい王がいたような」
「まあ、壱が言っていた特徴からすると本人かもな」
 天鴦が認めた。
「どうして鍛冶職人の中に潜り込んでいたんだろ」
翠がつぶやくと、天鴦は言った。
「拷問具評定会の一等は代々、大手の工房が獲る傾向にある。おそらく五官庁のだれかがひそかに工房主に融通しているんだろう。五官王はその()(ちゃく)を見抜いていて、善良な弱小の工房の職人たちにも日の目を見させてやろうと小細工したのかもしれない」
 悪習を断つためにひそかに動いたのではないかと。
「なるほど
まだ子供にしか見えないしかも女官たちの噂では気性の荒い気むずかし屋だとも聞いているが、やはり亡者を裁き、冥界の一角を統治する立派な十王のひとりなのだ。
 と、翠が感心していると、
「ところで、天鴦様の驚天動地のすごい罪ってなんだ?」
 古桃が思い出したように天鴦に問う。
「知りたいか?」
 思わせぶりな顔つきである。
「知りたい」
「聞かないほうがおまえのためだよ、古桃」
「なんだ、ますます気になるじゃんか」
 古桃が身を乗りだしてくるので、
「俺のためにも秘密にさせてくれ」
 天鴦はにやにやしながら視線を物見窓に逸らす。
 ()らして楽しんでいるのだろうか。
「わたしも気になります。冥府がまわらなくなるほどの罪ってなに?」
「まさか、実は翠よりも好きな女がいるとかか?」
 古桃が()(しき)ばむと、
「それはないな」
 あっさりと断じられた。
 迷いのない口調に思いがけずほっとして、そういう自分に少々赤くなっていると、
「今夜、裸で一緒に寝てくれるなら特別に教えてやってもいいよ?」
 天鴦が冗談めかして言ってくる。
「けっこうです」
 翠はつんと横を向いた。はなから言う気もないくせに。
「まあ、断ってくれていい。さすがに裸で朝まで一緒だと俺もいろいろ自信ない」
「やめてください」
 どこまで本気かわからず、ますます頬は赤くなる。
「行けばいいのに。裸くらいどうってことないだろ、いっつも風呂でみんなと裸じゃん」
 秘密を知りたい古桃が唇を尖らせる。
「どうってことあるよっ」
 女風呂と閻魔王の(しん)(じょ)ではわけがちがうのだ。翠は思わず(ふところ)をかきあわせて(はん)(ばく)した。
【おわり】