五道転輪王の素顔
「あー、今日の会食は空気が悪そうだから御給仕するのが億劫だわ」
豪華な高級料理のならんだ御膳を抱えた女官が翠のとなりでぼやいた。
今夜は閻魔王宮の饗応の間で小規模な会食があり、翠と獣人の古桃と古参の女官ふたりが給仕係を務めることになっている。
招かれているのは、天鴦とは不仲で知られる五道転輪王とその配下の者だ。業江の蛇が繁殖しすぎて困っているので対処法を話し合うのだという。
「どうして?」
おなじように御膳を抱えた翠が首をひねる。
「だってお相手は五道転輪王でしょ。空気がぴりぴりして雰囲気が悪そうじゃない」
「それでなくても転輪王は、お顔を隠していて不気味なお方なんだから」
五道転輪王はわけあって、常に梵語の書かれた布で面を覆っている。
「気性の荒い気難し屋だともっぱらの噂よ。誤って汁碗でもひっくりかえした日には大目玉を食らって、その場で八つ裂きにされるかもしれないわ」
たしかに曲者ではあるが。
「さすがに汁椀をひっくり返したら相手がだれでも大目玉を食らうだろ」
古桃が突っ込むと、
「あんたが一番心配なのよ、古桃っ。天鴦様からご指名があったから連れてきたけど、くれぐれも慎重にやるのよ。つまみ食いなんて絶対にしちゃだめよ」
「するわけねーだろ」
女官に言われ、古桃は適当に頷いた。
業江会食の席は意外となごやかだった。
(政務がらみとはいえ、最近はよく閻魔庁に来られるから、天鴦様とは仲直りしたのかもしれないわ)
翠が期待を込めてそんなことを考えていると、煮しめの器を聚楽の膳に置いた古桃が、ついでに身を屈めた。下から聚楽の素顔をのぞこうとしているらしい。
「さっきからなに?」
気づいた聚楽がけげんそうに古桃を見やる。給仕のたびにそうしているのだ。
「なんでいつも顔を隠してんの、聚楽様?」
きわめて訊きづらいことも堂々と口にするのが古桃である。
「話せば長くなるから教えてやらない」
聚楽が淡々と返す。
「もしかして不細工なのか?」
「古桃っ」
失礼すぎる問いに女官があわてる。
「きみこそなんでいつも僕の顔を見たがるんだ。そんなに僕の花嫁になりたいの?」
以前会ったとき、素顔は花嫁になる相手にしか見せないと言われた。
「絶対なりたくない」
古桃は堂々と答えた。
「けど顔は見てみたいって?」
きわどいやり取りに翠たちがはらはらしていると向かいの天鴦が、
「いいよ、古桃。俺が許してやろう。その覆いを取り去る勇気があるならな」
笑いながら聚楽の面布を顎先で示した。
すると、
「全然ある」
なんと古桃は面布に手を伸ばし、思いきり引っぺがしたのだ。
「古桃っ」
怖いもの知らずの蛮行に、翠たちは思わず声をあげた。
(わ……)
あらわになった聚楽の素顔に、一同が目をみはった。切れ長の青灰色の双眸にすっきりと通った鼻梁。素顔は女と見まごうほどの美貌だと天鴦が言っていたが、たしかにそのとおりだった。
「…………」
聚楽はとくに焦ったり怒ったりするようすはなく、無感情に古桃を見下ろしている。
「目もあてられないブ男かと思ったら、目の覚めるような美青年だった」
古桃が悪びれもせず言うので沙戸たちは青ざめ、
「申し訳ございません、聚楽様っ、こちらは見習いの下女でして、ただいま言葉遣いや礼儀作法の指導の真っ最中なのでございます、どうかご容赦くださいませっ」
ただちに平謝りしたが、
「うん。猫耳がかわいいから許す」
聚楽は意に介さぬようすでにこりと笑った。大狗の丹を相棒にしているくらいだから獣好きなのだろう。
「まあ……」
思いのほか甘い返しに、女官ふたりはそろって頬を染める。
給仕を終えて饗応の間を退室したあと、
「お優しくて素敵だったわ、聚楽様……」
「転輪庁に異動の希望を出そうかしら」
ふたりの女官が夢見るようにつぶやいた。
「なんだ、おめーら、結局顔かよ」
古桃が呆れると、
「仕方ないでしょ、天鴦様は翠にぞっこんで、わたくしたちは鞍替えするしかないんだから」
「それにお顔は大事よ、毎日見るんですもの。麗しければ麗しいほど仕事に身が入るわ」
「そうそう。あれほどに美形のご尊顔なら尽くしがいもあるってもんよ」
「やっぱり顔なんだ」
女官たちが大真面目に返すので、翠は苦笑いするしかなかった。
【おわり】