パンの夢

「――うむ、風除けを張って炉に薪を足した。娘の寝袋も広げたし、これでいいな」
ハルは指さし確認した。
妖精みたいにちっちゃい身体で、寝間着にきがえたわたしを見あげる。
「周囲に獣の気配がないことは確認しているが、不測の事態が起これば叫べ。狼でも小鬼でも、すぐに駆けつけるからな」
旅の途中の夜の森。
大樹の枝葉を屋根にした野営地では、炉の炎がごうごうと燃えている。
わたしは炉のそばにある寝袋と、離れた茂みのまえにある枯葉の山を見くらべた。
うーん、と首をかしげる。
「炉から遠いし枯葉のベッドじゃ寒そうだし、ハルもこっちで寝れば?」
「ば、馬鹿なことを言うな! 仮にも年ごろの娘たるおまえのそばで、我が眠れるわけなかろう!」
ハルは声を荒らげる。
赤い髪を炎みたいに逆立たせ、三つの目でわたしを睨んだ。
「おまえはパン作りこそ繊細な感覚をそなえているが、それ以外がまったく雑だ。いますこし慎みをもってくれ。今日の昼間も洗濯してスカートを濡らしたからと、裾をたくしあげて我の前を歩いたばかりではないか。あのように人前で足を見せるなど――」
「〝人前〟って……ハルは炎の精霊との混血でしょ? 人前じゃなくない?」
「そういう問題ではない!」
わたしは首をすくめた。
ひょんなことから、いっしょに旅をするようになって一カ月がすぎた。
最初は控え目な注意だったけど、慣れるにしたがってハルも遠慮がなくなってきた。カーチフは汚れたらすぐに取りかえろとか、ボタンは襟元までとめろとか、川魚は骨に気をつけて食べろとか。わかったよ、としぶしぶ応じると、夜風が炉の炎を揺らした。
〈寒い季節〉もまもなくの秋。
木々のあいだから見える月は白々と、夜気はしんと冷えている。そろそろ休むかとのハルの言葉に、わたしはあくびでこたえた。移動をしたり魔物と戦ったりで、さすがに疲れて眠くなっていた。
寝袋に入ると、ハルがとことこと近づいてくる。
失礼する、と断って、小さな手で、寝袋の首元をととのえてくれる。
「肩を出すと風邪をひくからな。ああ、そんな寝方では髪がもつれるぞ。三つ編みは、耳の横にまとめておいた方がいい」
「……やっぱりこれじゃ、〈魔王〉じゃなくて〈お母さん〉だし」
わたしはぼそりとつぶやいた。
「なにか言ったか?」
「なんでもなーい」
首を横にふって、おやすみ、と目をとじた。
ほこほこする。
ぬくぬくする。
「――……?」
わたしは目をあけた。
一瞬どこだかわからない。
頭上には、大樹が枝葉をのばしている。ああそうだ、いまは旅の途中の森での野営だった。夜風がひゅーっと梢を揺らして、寝袋ごしに感じる地面は硬いけれど、さほど寒くない。というか妙にあったかい。
明るい方に顔を向けると、薪がパチパチと爆ぜる炉が見えた。
「……もしかしてハル、薪を足してくれたの?」
わたしは中天を過ぎた月と、真新しい薪が燃える炉と、こんもりした枯葉のベッドを見くらべた。
村での生活がふとよぎる。パン焼き小屋の地下にあるわたしの部屋。早朝から一人でパンを焼いて片付けて翌日の準備をして、くたびれて寝るだけの自室のベッドは、冷たくて湿っていた。そんな村から逃げだして夜の森で寝てるのに、いまはむしろ温かい。炉の炎は鮮やかに燃えていて、寝袋は柔らかくておひさまの匂いがする。
強い夜風が駆けぬけた。
枯葉のベッドが散って、丸くなっているハルの身体が月光に照らされる。
深い寝息が聞こえた。本来の大柄な青年の姿が保てない、まだ魔力が完全に戻っていない状況で動きすぎて、疲れてるのかもしれない。
「このままじゃ、風邪ひいちゃいそう……」
わたしは寝袋から出た。
冷たい地面を裸足で跳ねるように歩いて、枯葉のベッドのそばで膝をつく。
三つの目をとじているハルに枯葉をかけなおそうとして、冷たい葉っぱの感触に手をとめた。少し考えて、枯葉ではなくハルの身体に指をのばす。枯葉のベッドより炉のそばに寝かせた方がいいかと思ったのだけれど、ハルの身体を両手で包むなり、わたしは、わあ、と声をあげていた。
「なにこれ。すっごいあったかい。できたての温石みたいっていうか、やっぱり火の精霊との混血だから?」
へーっと感心して、わたしは眠るハルを見おろした。
慎みがどうとか言い張って、炉から離れた場所に枯葉のベッドをつくったハル。わたしのために夜中に起きて、くしゃみをしながら自分より大きな薪を炉にくべて、炎の魔法で火勢を強くしている姿がふと浮かんだ。
手だけじゃなくて、なんだか心も温かくなった。
その温かさを放すのが惜しくなった。
「……まあいっか」
わたしは、ハルを手にしたまま寝袋に戻った。
うんしょと寝袋にもぐりこむ。小さな身体を両手で包んで、あったかいな、気持ちいいな、と思っているうちにまぶたが重くなった。
夜空にさえざえと輝く秋の月。
魔物の息づかいが聞こえそうな暗い森。
だけどわたしは安心して、焼きたてのパンみたいに幸せな夢を見た。
【おわり】