甜点日和の甘い胃袋

千秋は体を縮め、落ち着かない気分で椅子に座っていた。
「大哥、なんでそんな小さくなってんの?」
「いやだって俺たち、確実に場違いだろ」
しかし小虎は「為什麽呀?」と首を傾げた。
この男には、なんでも言葉にしないと通じないのだ。
「ここ、お客さんが女の人ばっかりじゃないか」
千秋はちらりと店内に目をやった。明るい店内には鳥籠や燕を模した中国凧が揺れ、各テーブルには小さな赤い獅子のぬいぐるみが鎮座している。カラフルな雑貨たちがかもし出す雰囲気のおかげか、店はかわいらしく華やいだ空気に満ちていた。
そして、席はいずれも女性客で埋まっている。
「別に、男子禁制とは貼り紙してなかったよ」
「そりゃそうだけど」
千秋と小虎は今日、高田馬場のとある店を訪れていた。
高田馬場は中国人留学生が多いこともあり、いわゆるガチ中華の店が軒を連ねる。しかし今日二人が訪れたのは麻辣湯や肉夹饃(中国式ハンバーガー)の店ではなく、中華の甜点(スイーツ)専門店だった。
自分の店で出すメインのメニューは固まりつつあったが、デザートについては迷い続けていた。定番なら杏仁豆腐とゴマ団子だが、それではあんまりありきたりすぎる気がする。うんうんうなっていると、見かねた小虎に「だったら手本を見るのがてっとり早いでしょ」と連れ出されたのだ。
「それにしたって、普通の中華料理屋とは客層が全然違う」
「麻辣湯とか火鍋の店だって似たような感じでしょ」
女性客たちは綺麗な器に盛られた甜点が運ばれてくると歓声を上げ、持参したアニメ絵のアクリルスタンドと一緒に写真を撮っていた。甜点の見た目が華やかだから、かわいい写真を残したくなるんだろう。ひきかえ、千秋が開こうとしている町中華の料理は味や量に重きが置かれており、全体的に茶色っぽく、写真を撮りたがられるようなメニューはあまりない。
「それよりほら、快点看看要点什么」
小虎にうながされて、あらためてメニューに目を落とした。
種類が多くて目移りし、なかなか一つに絞れない。甜点のメニューだけでなく、中国茶もかなりの種類がある。
「お前は決まったのか?」
「んー、鮮花餅にするかな。これは俺も食ったことないから」
小虎が指差したメニューを見ると、パイ生地の中に、バラの花の砂糖漬けにもち米粉や蜂蜜を加えて練った餡が詰められたお菓子のようだ。雲南省の名物だという説明書きがある。二つに割ると現れる濃いピンク色のバラ餡は、見た目も鮮烈だ。
「バラって食べられるものなんだな。ジャムなら見かけることもあるけど」
「雲南はバラが名産で、食用に育てるのもけっこうあるんだってさ」
小虎にしては博識だなと思って顔を上げると、なんのことはない、テーブルに備えつけられたメニュー解説をそのまま読み上げているだけだった。
「で、大哥はどうすんの」
「候補の目星はつけてるんだって。絞り切れてないだけで」
「想吃多少就吃多少。偵察に来てんだから、できるだけたくさん食べた方がいいでしょ。あんた見た目よりかなり食うし」
「……たしかにそうだな」
好きなだけ頼んでいい理由ができたのだから、胃袋が許す限り食べた方がいい。
「それに大哥がどんだけ食おうと、俺の財布は痛まないし」
「一言余計なんだ、お前は」
千秋はあらためてメニューを凝視すると、店員を呼んだ。
十数分後、千秋と小虎のテーブルは甜点と中国茶のポットでいっぱいになり、小さな宴会でも始めるかのような光景になっていた。
「これは……なかなか……」
思わず口元を緩めてテーブルを眺め渡し、千秋も多くの女性客と同じように写真を撮った。早く味を確かめたいが、後で参考にするため、写真くらいは残しておいた方がいい。
「俺らもなんかもこもこしたの連れてくればよかったなあ。シマさんとか」
小さなぬいぐるみと一緒に甜点の写真を撮る人を見て、小虎がそんなことを言った。
「シマさんはぬいぐるみじゃない。本物の生きた猫だ」
シマさんは、店で飼っているキジトラ猫だ。たぶん今頃はソファの上でひっくり返っているか、日課である金魚の観察にでも励んでいるだろう。
「相変わらず冗談通じないねえ、大哥は」
「うるさいな。じゃあつまんない冗談なんか言うなって」
一通り写真を撮り終え、千秋はようやくレンゲを握った。
「待った、ちゃんと味覚えて帰れよ。あんたうまいもん食うと『おいしい、すごい』しかしゃべんなくなる時あるし」
「語彙が減るだけで、ちゃんと味はわかってる」
「どうだかね」
小虎の言葉を聞き流し、まずは一番手前にあった双皮奶を引き寄せた。広東式のミルクプリンで、牛乳を煮て冷ました時にできる膜が二重になっているのが特徴らしい。小豆や蓮の実なんかをトッピングしたメニューもあったが、今回はシンプルなものを選んだ。
わずかな振動で揺れるほど柔らかいそれに、レンゲを差し入れる。
口に入れれば、牛乳のやわらかい香りと甘みがぶわりと広がった。牛乳ってこんなに香りがあったのか、とあらためて思わせられる滋味だった。冬はホットもおすすめと書いてあったけれど、温めたらさらに香りと味が強くなりそうで、たしかにそっちもおいしそうだ。
「好吃嗎?」
「うん」
しゃべるとその分、口の中の味が逃げるので、代わりに千秋は深く頷いた。
ダメだこりゃ、というように小虎は肩をすくめると、鮮花餅を半分に割って双皮奶の受け皿に置いた。
「いいのか?」
「なるべくたくさん試すんでしょ」
じゃあ遠慮なく、とかじりつくと、サクっとしたパイ生地としっとりした餡の食感に続いて、バラの香りが鼻に抜けた。口に入れているからなのか、直接生花を嗅ぐよりも香りが強い。餡の甘みはそこまで強くなく、上品ささえ感じらる。
次に手を伸ばしたのは、銀耳雪梨湯だ。銀耳は白きくらげのことで、それを梨や棗、氷砂糖と一緒に煮た温かいデザートらしい。説明書きによれば、喉を潤す薬膳的な効果もあるようだ。
まずはスープを口にしてみると、すっきりとさわやかな甘味が喉を通り抜けた。コリコリとした白きくらげの食感も楽しい。食べ進めると、喉と胃がじんわりと温かくなっていくようだ。
「あんた、ずいぶん楽しそうだね」
小虎に言われて、顔を上げる。
「楽しいに決まってるだろ。うまいものを次々食べてるんだから」
ふーん、と小虎は小さな湯呑で茶をすすった。
「小虎は楽しくないのか? 甘いもの苦手だったとか」
「没有没有」
それでも小虎は、口をへの字に曲げていた。茶が渋すぎたのかと思ったが、飲んでみればちょうどいい塩梅の味だ。渋みと香りが口の中を洗い流してくれて、またいくらでも甘いものが食べられそうになる。
千秋は小虎の反応に首を傾げながらも、ふたたび甜点に没頭した。
「さすがに腹が重い」
目の前の器をすべて空にして、千秋は胃のあたりをさすった。汁気の多いメニューも多かったせいで、食べた量以上に腹が膨らんでいる気がする。
「今日は夕飯抜く?」
「それは嫌だ。しょっぱいものは別腹だから」
「別腹って、普通逆な気がすんだけど」
そろそろ帰ろうかと、レジの方を振り返る。
すると入り口近くの壁に貼られた「期間限定メニュー:双皮奶エスプレッソがけ、アフォガード風」のチラシが千秋の目に飛び込んできた。
「期間限定……」
思わずため息が漏れる。メニューブックには載っていないから見逃していた。
しかも、提供期間はあと二日で終わることになっている。
「なに。そっち食いたかったの?」
「……いいんだ。メニュー研究のために来たんだから、基本の味を知っておいた方がいい」
「とか言ってあからさまに落ち込んでんじゃん。明日にでもまた来て食ったら?」
ちょうどその時、新たなお客さんが店に入ってきた。やはり女性のグループで、千秋たちのテーブルに残る皿の量を見て、驚いたように目を見開く。
「いや、我慢する。やっぱり、この空間はちょっと肩身が狭いし」
小虎はにやにや笑いながら、千秋の肩を小突いた。
「さんざん食い散らかしといてよく言う。宝宝は本当に任性だね」
うるさいな、とまとわりつく小虎をあしらいながら、会計を済ませて店を出る。
通りに出た途端、立ち並ぶ飲食店から流れ出す各種スパイスや肉を炒める強烈な香りが鼻をついて、甜点の店に漂っていたやわらかいお茶の香りを吹き飛ばしてしまった。
「しょうがねえなあ。期間限定のやつは俺が家で作ってやるか」
「作れるのか?」
「なんのために今日この店来たんだよ、視察だろ? 作れるようにならなくてどうすんだ。そりゃ、完全に同じ味じゃないだろうけど」
千秋は思わず歩調を速めた。
「それなら早く帰ろう。お前が作ってくれるならそれが一番だ」
小虎は目を丸くして「なにそれ」と言った。
「いやだから、今日の店もおいしかったけど、俺はお前の作るものが一番うまいと思ってるし。だから早く帰って作ってもらうかって……」
小虎は千秋が言い終わる前に吹き出した。
「さすがに今日は作んねえよ、大哥。せめて胃の中のもんを全部消化してからな」
小虎はそう言って腹を叩いた。
谷中までの帰り道、小虎は時々胃の中身を確かめるように腹を叩いた。
その横顔はやけに上機嫌で、鮮花餅をかじっていた時よりもずっと楽しそうだった。
【おわり】