君の瞳に私は映らない
いつもより三十分早くスマホのアラームをセットして、顔を洗って机に向かう。
佳子が「これ、めっちゃ毛穴隠せる! カバー力鬼!」って言ってた下地はほんとに効果ばつぐんだった。伸びもいいし、毛穴なんてどこにもない陶器肌になる。ファンデーションとパウダーで仕上げ、シェーディングをしっかり入れて小顔に見せる。ノーズシャドウで低い鼻をごまかして、目もきっちり盛った。目頭切開ラインと目尻切開ライン。学校にしていくにはちょっと濃いメイクかもしれないけれど、これくらいなら大丈夫、たぶん。
メイクが終わったら今度は髪の毛。自慢の茶色いロングヘアをきれいに巻いていく。サイドも後ろもきれいにカールさせて、前髪もふんわり。鏡の中にはパーティーに招かれたお姫様みたいなあたしが現れた。
うん、ばっちり。これで純晴くんの目も惹けるはず。
そう思って食卓につき、何も塗らないトーストを食べていると、お母さんが思いきり眉をひそめた。
「柚葉、学校に行くだけなのにその髪はないんじゃない?」
「いいじゃん別に。うちの学校、そういうのユルいし」
今の学校を選んだのは同じ中学から行く子がいないっていうのもあるけど、校則がユルくて思いっきりおしゃれができるから、っていうのも実はある。実際、幼馴染みのつぐみみたいになんにもしない子もいるけれど、七割くらいの女子はメイクして登校するし。
「柚葉みたいな若い女の子はすっぴんがいちばん可愛いんだぞ」
お父さんもそんなことを言うので、ぜんぜんわかってないな、と思う。
「いやそんな嘘言わなくていいし。メイクしてたほうがぜったい可愛いに決まってるじゃん。今さら、すっぴんじゃ外歩けないもん。お父さんとお母さんがこの顔に産んだせいで苦労したんだよ、あたし」
「あら、そんな顔に産んで悪かったわね」
嫌味ったらしく言うお母さんを無視し、ごちそうさまと立ち上がる。
洗面所で歯磨きをして、唇にピーチピンクのプランパー効果入りリップを塗る。鏡のなかの自分に向かって、ちょっとにっこり。
今日のあたしは、カンペキ。
「おはよう、ゆずちゃん」
駅で電車を待っていると、いつもどおりつぐみが話しかけてくる。野暮ったい眼鏡に三つ編み、あきらかにダサいこのスタイルを崩さないあたしの幼馴染みが、小さく目を見開いた。
「ゆずちゃん、なんか今日は、いつも以上に派手だね」
「派手って。可愛いって言ってよ」
「ごめんごめん、可愛いよ。その髪の毛、トイプードルみたいで」
「もっと他に言い方ないの?」
声をとがらせるとごめんと謝るつぐみ。つぐみってときどき、あたしを馬鹿にしてるのかなって思う。メイクをがんばるのもヘアスタイルをびしっと決めるのも、くだらないことだって思ってるのかなって、そんな気がしてしまう。
たしかにつぐみは昔から大人に好かれる。うちのお母さんなんて、「つぐみちゃんを見倣って、あんたももっとちゃんとしなさい」なんて言ってくるから腹が立つ。
そりゃ、つぐみは真面目だし、実は成績だってあたしよりよかったりする。でも、ぜんぜんかわいくないじゃん? せっかくおしゃれできる高校に入ったのに、なんにもしないとかあたしからしたらありえない。女子高生の価値は可愛いかどうか、それだけで決まっちゃうのに。
「ゆずちゃん、最近なんか、あった?」
電車を待っているとつぐみにそう言われて、ちょっとどきっとした。
「え、別になんもないけど。なんで?」
「いやだって、ゆずちゃん、二学期になってからよりいっそう派手になったっていうか……お化粧も髪の毛も、前よりなんか凝ってるみたいだし。どういう心境の変化、なのかって」
なんとなく、つぐみに好きな人ができたことはぜったい言っちゃいけないと思った。なんでかはわからないけど、とにかく直感みたいなもの。あたしはわざとらしい笑顔を作ってごまかす。
「別に心境の変化なんてなんもないよ、ただメイク研究をがんばってるだけ」
「ふうん」
納得していないようにつぐみは言った。
つぐみはやさしいから、あたしが純晴くんを好きだと言ったら応援してくれるだろう。でも、その気持ちですらなんか上から目線っていうか、片想いしていることを馬鹿にされそうな気がしてしまう。
いつからなのかな、つぐみのやさしい言葉を素直に受け止められなくなったのは。
高校の最寄り駅で電車を降りると、同じ制服の人だかりで道があふれそうになっている。そのなかに純晴くんの姿を探す。純晴くんは背が高くてかっこいいから、よく目立つ。
「純晴くん!」
見つけて、思わず手を振りながら駆け寄った。今のあたしが犬だったら、しっぽをぶんぶん振っているところだろう。
純晴くんはまだ眠いのか、だるそうな目をあたしに向けた。
「おはよ!」
「おはよう」
会話はそれだけ。今日も話が続かない。
毎日挨拶したり、がんばって声をかけてるのに、ぜんぜん距離が縮まってる気がしない。純晴くんはたぶんあたしが好意を寄せてることにすら気づいてないだろう。当然、あたしのことも好きともなんとも思ってないのが、そのそっけない態度から感じられる。
でも、思っちゃうんだ。明日は、いつかは――って。
「今日のあたし、なんか違うと思わない?」
「え、いつもどおりだと思うけど」
にっこりして自分を指差しても、純晴くんは不思議そうにあたしの顔を見つめるだけだった。
「あ。強いて言えば」
「しいて言えば?」
「なんか、ケバい」
頭の上に漬物石クラスの、重いものがどすんと落ちてきた。
「もっと普通の格好、できないの?」
とどめのひと言を言われ、あたしは何も言えなくなってしまう。
せっかく純晴くんの気を惹けると思って、一生懸命おしゃれしたのに。
どれだけ自分を飾っても、あたしの恋は報われない。
切なさでぎゅっと縮まった心臓が、張り裂けそうに痛んだ。
【『君の瞳に私が写らなくても』本編につづく】