馬酔木と水仙


 (ゆき)()は息を切らしながら、広い庭園の中を歩いていた。ひょんなことから「師匠」となった(つばめ)の指示で、彼女が使役する(つく)()(がみ)たちとのかくれんぼをすることになったのだ。
 雪音の肩には白青の小鳥が留まっている。胸に三日月の印と長い二本の尾羽を持った、愛らしい小鳥だ。「(あお)(ふじ)」と雪音が名付けたこの小鳥の本性は水晶の根付で、燕に与えられた、雪音の式である。
 そもそもこのかくれんぼは、青藤の得意分野である索敵、追跡の技術を伸ばすための修行だ。燕の式の気配を追え、と燕は簡単に言ってくれたが、もともとは付喪神だの式だのと言った無縁の世界で生きてきた雪音には、一体どうしたらいいのかまったくもって分からない。
「青藤、こっちで合ってる?」
 雪音は肩の青藤に問いかけた。青藤は首をかしげて、ちるる、と鳴いた。(けん)(げん)したばかりの青藤も、よくわかっていないようだった。
「とりあえず、行ってみようか」
 ちるる、と青藤が鳴いて、雪音の肩の上でぴょんと跳ねる。意思の疎通は問題なさそうだ。
 雪音は再び、草を漕ぐようにして進みだした。外から見たときはそんなに広く見えなかったのに、今は果てがないように思える。不思議な庭だ。燕が経営するアンティークショップ「(ほし)(づき)()」も不思議な店だが、もしかして彼女に関わるものはすべて不思議なものなのだろうか。
 そんなことを考えながら歩いていたら、雪音はあるものを見つけた。水仙の群生の間に、赤いものがゆらゆらと揺れている。ふわふわとしたそれの正体を、雪音は知っていた。
(すみ)(ぞめ)、みーっけ!」
 水仙の中に腕を突っ込んで、狐のような、犬のような、不思議な生き物を抱き上げた。どういう仕組みなのか、青藤も墨染もほとんど重さを感じない。
 墨染は、青藤とは正反対の、赤みがかった黒い体躯をしている。三角形の大きな耳と尻尾の、犬とも狐とも言い難い生き物のかたちをしている。
 このかくれんぼの隠れる側に回った付喪神の中で、この墨染だけが燕の式ではなかった。燕の弟子であり、雪音のクラスメイトにしてライバル、(ひかる)が使役している式だ。不愛想で口の減らない主人と違って、素直で可愛いいい子だ。今も、雪音に見つかったと言うのに嬉しそうに尻尾を振っている。その尻尾が見つかる原因になったのに、墨染は一向にそんなことは気にしていないようだった。
「墨染、一緒に来る? あ、でも、さっきみたいに青藤の代わりに誰がどこにいるのか教えるのはなしね」
 雪音がそう言うと、墨染は目に見えてしょんぼりした。三角の耳が悲しそうにへたれる。
 先ほども、いちばんに見つかったのは墨染だった。立派な尻尾が(あだ)になって、どうしても物陰からはみ出してしまうようなのだ。そして、見つかった墨染は雪音をほかの仲間のところに案内した。それでは修行の意味がないとさんざん燿や燕に叱られたのに、また同じことをやるつもりだったらしい。懲りない子だ。
「おい」
 墨染を抱える雪音の背後から声がかかった。雪音は驚いてぎゅっと墨染を抱きしめる。振り向けば、そこには不機嫌顔の燿が立っていた。白い顔も、涼やかな目元も、どうにもひどく威圧的に見える。
「あんまり奥に行くな。回収が面倒だ」
そんなに広いの、ここ?」
「広い。あんたは確実に迷う」
 そう断言されて、雪音はちょっと鼻白んだ。こうも真正面からお前には無理だと言われると面白くない。
 反論しようと口を開いたところで、燿の手が雪音の頭に伸びた。何をされるのかと身構えていると、彼の手は雪音の髪に触れて、すぐに離れていった。その指には、小さくて茶色い、何かの実がつままれている。
馬酔木(あせび)の実だ」
「アセビ?」
「下を通ったな? 毒がある。近づくなよ」
 言いながら、燿は馬酔木の実を見せてくれた。茶色い花が開いたような形のそれを、たしかに雪音は見た覚えがあった。
「毒があるって、触って大丈夫なの?」
「口に入れなきゃ問題ない。馬酔木の毒も知らないのか」
 むっと雪音は眉間に(しわ)を寄せた。燿の難点はこの言葉選びだ。どうにもひとを馬鹿にしているようなこの物言いが、彼を孤立させている。
「うちにはこんな立派なお庭はないので」
「本を読んでたら出てくるだろ。参考書以外は読まないのか?」
 ああ言えばこう言う、という言葉がぴったりの物言いだった。雪音は痛みを訴え始めた頭を手で押さえた。と、燿の視線が雪音の頭上に固定されているのに、不意に気づいた。
 はじめはまだ木の実がついているのかと思ったが、そうではない。彼が見ているのは、雪音が髪をまとめているとんぼ玉だ。
 このとんぼ玉は、元をたどれば燿の妹のものだった。亡くなった妹の形見として彼が持っていたそれは、数奇な運命をたどって雪音のものになった。
「気をつけろよ。それが壊れたら、お前、死ぬんだぞ」
うん。分かってる」
 燿の声が冷たく響く。雪音はただ(うなず)くことしかできなかった。



 その様子を、燕は水鏡を通して見ていた。浅く作られた金属製の盆には、薄く水が張られている。そこに、庭の木立に囲まれた初々しい少年少女の姿が映し出されていた。燿は当然見られていることに気付いているだろうが、雪音には一切気づいた様子はない。いずれ彼女にはこういった視線にも気づいてもらえるようにならねばならない。
 だが、今はそれよりもふたりのぎこちなさについてだ。あまりにも不器用なやりとりに、ため息が漏れる。
「まったくもって、しち面倒くさい性質ねえ」
 やれやれ、と首を振った。燿が素直にものを言えないのは常のことだ。しかし、程度というものがあるだろう。せめてあの言葉選びさえどうにかなれば、雪音ももうすこし態度を柔らかくするだろうに。
 燕は改めて、水鏡を覗き込んだ。雪音の腕には、まだ墨染が抱かれている。なんの抵抗も見せず、おとなしく雪音に体を預けている。
「式は主人の性格を反映するものだけどこれじゃあ、例外だと思われても仕方がないわよ、燿」
 水鏡越しに話しかけるように、燕は呟いた。どうにも、性根と表層の(かい)()が大きすぎる。つくづくしち面倒な性質の男なのだ。今だって奥へ奥へと進んでしまった雪音を心配して追いかけたくせに、そのことはおくびにも出さない。
 結局ふたりは連れ立って歩き出した。どうやらまた()()()いのような言い争いをしているようだ。
「これもこれで仲がいいってことなのかしらねえ」
 若い子ってわかんないわあ、とぼやきながら、燕は若いふたりの弟子を見つめていた。

【おわり】