あなたが幸せでありますように


 新年を迎えたばかりの夜のこと。
 ()()(しゅう)()は、(はな)(いと)にある神社に足を運んでいた。境内のあちらこちらには雪洞(ぼんぼり)が吊るされて、場所によっては松明(たいまつ)の炎が揺れている。
 夜の天辺も過ぎているというのに、ずいぶん明るくて、不思議な気持ちになった。
 参拝の列に並びながら、真緒はきょろきょろとあたりを見渡した。
「すごい人だね。夜なのに」
 神社の境内は、大勢の人でごった返していた。もともと参拝客が多い場所ではあるのだが、それは昼間の話のはずだ。
 深夜でありながら、ここまで賑わっているとは思わなかった。
「新年なので、皆、お参りに来ているのでしょうね。日が高くなると、もっと混雑しますよ。歩くことにも苦労するくらい」
「新年だと、お参りするの?」
「新しい年のはじまりに、良い御縁を。そのように、十番様に願う者たちが多いのです」
 十番様。
 花絲を治める()(おり)()の所有する神であり、十織家の始祖でもある。
 此の国では、はるか昔、国生みのときに生まれた一番目から百番目までの神を始祖とし、その一柱、一柱を所有する一族を《(かみ)(あり)》と呼ぶ。
 終也が生まれて、真緒の嫁いだ十織家は、その神在という特別な一族だった。
「良い御縁。今年も良いことがありますように、ってこと?」
 十番様は縁を司る力を持っているので、そう願うことも分かる。
「そうですね。今年も良いことがありますように、あとは、昨年はありがとうございました、というのもあるでしょう」
 十番様は、この神社にはおらず、十織邸の裏にある森におわす。
 神社に在るのは、十番様ではなく、その脱け殻だ。
 それでも、街の人々にとって、この神社は大切な場所なのだ。十番様の御前に参ることはできなくても、その存在を意識することができる。
 新しい年のはじまりに、良い御縁がありますように。
 そして、昨年の良い御縁に感謝を。
「素敵なことだね。街の人たちの心にも、いつも十番様がいらっしゃるってことだもの」
 人々の生活のなかに、十番様の存在が息づいている。
「そこまで、たいそうなことではないと思いますけどね。そもそも、良い御縁がありますように、と神に願うことは、他力本願でしょう? 願うだけでは何も変わらない。自ら動かなければ、何も叶えられない」
「でも、お願いすることで、自分も頑張ろう、と思っているのかも。良い御縁がいただけるように頑張りますから、どうかお願いします、ってことだよね」
 十番様に願うことと同時に、自分自身を()()しているのではないか。
「なるほど。たしかに、自分の気を引き締める、という意味では、願うことも大事なのかもしれませんね。もうすぐ順番がまわってきますよ」
 終也がそう言ってから、しばらくもしないうちに、真緒たちの番がまわってきた。
 真緒は目を(つむ)り、手を合わせながら思う。
(終也に、たくさんの良い御縁がありますように。わたしは、もう良い御縁をいただいているから)
 終也の花嫁となることができた。
 終也の機織(はたおり)さんとして、織ることができる。
 そうして、たくさんの良い縁に恵まれた。だから、十番様に願うのは、自分のことではなく、終也のことが良かった。
 隣にいる人が、たくさんの縁に恵まれて、幸福に過ごせますように。
 そのために力を尽くすから、どうか、十番様終也の先祖にも見守ってほしかった。
 お参りを終えると、真緒たちは人混みをかき分けて、境内の端に向かった。
 冷たい風が吹き込んで、思わず、真緒は小さなくしゃみをした。
「どうぞ。甘酒を貰ってきました」
 いつのまに受け取っていたのか。終也の手には、境内のあちこちで振る舞われていた甘酒があった。
「ありがとう」
 真緒は甘酒の入っている徳利(とっくり)を受け取った。
 どうやら、甘酒は直前まで火にかけられていたようで、思っていたよりも温かい。
(わたしのために(もら)ってくれたのかな)
 終也は甘いものが苦手なので、こういったものは好んでは飲まない。真緒が寒そうにしていると察して、あたたかいものを、と貰ってくれたのかもしれない。
「甘くて美味しい。お酒なんだよね?」
「米から作っているものなので、君の想像するようなお酒とは違いますよ。酔ったりしないので、安心してください。少しは暖まると良いのですが。すみません、寒いなか、急にお誘いして」
「どうして謝るの? 嬉しかったよ。一緒にお出かけできて」
 たしかに急なことではあったが、忙しいなか、真緒との時間をつくってくれたことを知っている。
「それなら良かった。でも、()()()には内緒にしましょうね。こんな夜中に()()様を連れ出すなんて、と怒られます。あの子はあの子で箱入りなので、こんな時間に出かける、という発想がないのですよ」
 終也は妹のことを引き合いに出してから、苦笑いを浮かべた。
「終也は違うの?」
「僕は、けっこう得意です」
「得意?」
「はい。こういう悪いことが」
 真緒は笑ってしまう。
 こんなにも楽しいことなのに、これが悪いことになるのか。
「終也と一緒なら、悪いことも楽しいね」
 好きな人とだから、きっと、楽しくなるのだろう。
 真緒は甘酒を飲み干してから、空いている手で、終也の手をとった。ひんやりと冷たい指先に、自分の指を絡めて、ぎゅっと握る。
「もうちょっとだけ、わたしと悪いことしてくれる?」
 真緒の言葉に、終也は優しく微笑んだ。

【おわり】