君を想う


 その宝石を見たとき、一番に浮かんだのは妻のまなざしだった。
 鮮やかに咲き誇る、椿(つばき)の赤。
 この石があれば、いつだって()()(そば)にいてくれるような、そんな勇気がもらえる気がした。


 (はな)(いと)にある、平屋建ての(やしき)
 街の中心地ではないからか、(けん)(そう)から離れて、ゆったりとした時間が流れているようだった。街の至るところに響く、かたん、かたん、という(はた)(おり)の音も遠い。
 ()(おり)(しゅう)()は、来客用にしつらえられた座敷で、邸の主人を待っていた。
「お待たせして申し訳ございません。十織の御当主様」
 しばらくもしないうちに現れたのは、この邸の主人である初老の男だった。
 十織家とも長く付き合いのある彼は、花絲に居を構える(ちょう)(きん)()の一人だ。
 もとは刀の装具をつくることを生業(なりわい)としていたのだが、ここ数年では、()(くに)の装身具も手がけることが多くなっている。
「お忙しいところ、押しかけたのはこちらですから。頼んでいたものが出来あがった、と邸の者から聞きました。無理を言ってお願いしたのに、こんなにも早く手がけてくださり、ありがとうございます」
「無理など、決して。十織の方々にはいつもお世話になっておりますから、お役に立てるのであれば嬉しく思いますよ」
 微笑んだ男は、終也の前に座ると、そっと桐箱を差し出してきた。
 終也が(ふた)を開くと、金を使ったブローチが二つ並んでいた。揃いの意匠のブローチで、唯一異なるのは主役となる宝石の色だった。
 椿の花のように鮮やかな赤に、対をなすような深い緑。
 東北には、特殊な鉱山を有している神在がいる。
 とある神のおわすその山は、神の力によって、本来ならばその環境では採れるはずのない石までも産出するのだ。
 この石自体に、その神の加護があるわけではない。
 だが、縁起が良い石ではある。
 それこそ、いつも身につけるにふさわしい石だった。
「見事ですね。あなたにお願いできて良かったです」
 石を載せる台座とも呼ぶべきところは、凹凸がなく滑らかで、かつ美しい楕円を描いている。()()()しが効かない造りだからこそ、職人の腕が試される。
「身に余る御言葉です。織姫のお眼鏡にもかなうと良いのですが」
「きっと、喜んでくださるかと思います。ありがとうございました。また、お願いすることがあるかと思います。そのときは、よろしくお願いします」
「ぜひ。いつでもお声がけください」
 それから、終也は彫金師から最近の街の様子を聞いた後、十織邸まで戻った。
 使用人の運転する車から降りて、邸にある真緒の工房に向かった。
 いくつもの織り機が並んでいる工房は、整理されているというよりは、何処(どこ)か散らかって見える。
 真緒本人も自覚しているようだが、彼女はあまり片付けが得意ではないのだ。
 工房内は、織ることに支障がないようにはなっているものの、()(ちょう)(めん)な人ならば眉をひそめるくらいには雑然とした印象を受ける。
(僕は、真緒のそういうところも嫌いではありませんけれど)
 夢中になったら、他を忘れてしまう。
 これと決めたら度が過ぎるほど(いち)()であるのが、終也の好きな彼女だった。
 機織りをする真緒は、終也の来訪にも気づいていないようだった。黙々と織り続けるその背中を、声を掛けることもなく、じっと見つめてしまう。
「終也? ごめんね、気づかなくて。待たせちゃった?」
 キリの良いところまで織ったのか、ふ、と息をついた真緒は、そこでようやく終也の存在に気づいたらしい。
 終也は首を横に振ってから、真緒のもとまで近寄る。
「謝らなくても結構ですよ。それほど待っていないので」
 本当は、けっこうな時間、真緒を見つめていた。だが、それを言うのはためらわれて、終也は誤魔化してしまった。
 きっと、終也の誤魔化しなど、真緒にはお見通しだろうが。
「何か用事があったんだよね?」
「真緒に渡したいものがありました。受け取っていただけますか?」
 真緒は不思議そうにしながらも、ひとつ(うなず)き、両手を差し出してきた。
 終也よりもずっと小さな手は、機織の手だった。お世辞にも深窓の姫君のよう、とは言えないが、終也にとっては何よりも美しい手だ。
 真緒の手に、そっとブローチを置く。
 緑色の石が輝くブローチを見て、真緒は驚いたように目を丸くする。
「綺麗。終也の目の色だね」
「出先で、この石を見つけたとき、君に贈りたい、と思ったのです。()(ろく)()(ちゅう)、ずっと一緒にいることはできません。でも、一緒にいられないときも、僕のことを思い出してくれたら嬉しいです。このブローチが、そのきっかけになれば、と」
 我ながら、自分勝手な願いだった。
 真緒と出逢い、夫婦として共に過ごすようになってから、終也はどんどん欲張りになっていた。
? いつだって、終也のことを想っているよ」
 真緒の声には揺らぎがなく、彼女にとっての真実だけを口にしていた。素直な彼女は、(ひね)くれた終也とは正反対の人だ。言葉どおりに、ブローチがあってもなくても、終也を想ってくれている。
「大事にするね」
 真緒は両の(てのひら)でブローチを包むと、そっと胸元に引き寄せた。いっとう大切な宝物をあつかうような仕草だった。
 真緒は美しい赤の目を細めて、幸せそうに微笑む。
 その笑みに胸がいっぱいになって、終也は何も言えなくなってしまう。
 悲しみや苦しみに襲われたときだけでなく、幸福を感じるときであっても、人は何も言えなくなるのだ。
 遠くないうちに、このブローチをつけた真緒と一緒に、()()かに出かけられたら、と思う。
 そのときには、真緒の目の色に合わせた、揃いの意匠のブローチがあることを打ち明けられるだろうか。
 いつも君を想っています、と言ったら、きっと、真緒は喜んでくれるだろう。

【おわり】