非日常な彼女


 アンティーク調の家具に愛らしいティーカップとそろいのソーサー。ガラスケースの中には、SNSにアップすればたちまち噂になるであろう芸術的なケーキの数々。‌
 あたたかな午後の日差しに柔らかな風。‌
 テラス席でお茶をするには絶好の日和(ひより)だった。‌
「お待たせしました、(おおとり)さん」‌
 カフェラテとイチゴタルトをのせたトレイを手に、早乙女(さおとめ)(みなみ)は店内から出るなり後ろ姿も美しい先輩へと声をかける。‌
「この店、紹介してくれてありがとうございます。どのケーキにしようか迷って遅くなっちゃって」‌
 真っ白なテーブルにトレイを置き、椅子に腰かけようと手を伸ばす。‌
》‌
「え? なにか言いました?」‌
 尋ねつつ視線を先輩山子(やまね)に向ける。‌
 そこでようやく、南はテーブルの一部が真っ黒に染まっていることに気がついた。白いテーブルをおおい尽くそうとするように、黒いものがベチャリと湿った音をたてながら次から次へと落ちていく。粘着質な音に、反射的にぞわっと鳥肌が立った。‌
 黒いものは、うつむき気味に背を丸めた山子の顔からしたたっていた。‌
「あっ」‌
 顔の肉が剥がれ落ち、テーブルの上に広がっている。一瞬、そんな幻覚が見えた。けれど実際には、伏せられた顔は炭のように真っ黒で、そこからしたたるものも真っ黒。‌
 南は青くなって足を引いた。‌


ってことがあったのよ、日曜日の午後に」‌
 月曜日、出社した山子が休憩時間にそんな話をしはじめ、南は思わず肩をすぼめた。‌
「え。見間違えちゃったの? 住人と、山ちゃんを?」‌
 太鼓腹に三色団子を詰め込みつつ部長が目を丸くして南を見る。‌
「異界の住人と同僚見間違えるとか、驚異的な視力してんなー。くわばらくわばら」‌
 部長が差し出した団子を受け取りつつ冷やかしてくるのは、モニタールームの住人こと根室(ねむろ)(りょう)太郎(たろう)である。‌
「い、言い方がひどくないですか」‌
 南が思わず反論すると鼻で笑われた。‌
「異界の住人つったら、この世に未練たらたらで消えることもままならない、ドロッドロの(もう)(ねん)の固まりだろ。どうやったら見間違えるんだよ」‌
「か髪型とか、後ろ姿とか」‌
「目え腐ってるんじゃねーの」‌
「根室くんみたいに根性腐ってるよりマシじゃない!」‌
 どんどん小さくなる南を見て、山子が鋼鉄の助け船を出してくれた。「俺、自覚あるからいいもーん」と、根室が団子を(くわ)えながらモニタールームへと消えていく。‌
「すみません、鳳さん」‌
「いいのいいの。私もすぐに南ちゃんに声かけなかったから」‌
 テラス席で刻々と溶けていく住人に驚愕していると山子がやってきて、トレイを持ち上げ「こっちの席よ」と誘導してくれた。絶妙なタイミングで山子が現れたおかげで、かろうじて悲鳴をあげずにすんだのだ。不幸中の幸いだった。‌
 しかし、電車に乗って遠出までして食べに行ったスイーツは動揺のあまり味がしなかった。‌
 落ち込む南を心配してか、部長が大サービスで二本目の団子をすすめてくれる。いつもなら体重を気にして躊躇(ためら)うところだが、沈んだ気持ちのまま団子を手に取った。‌
五十嵐(いがらし)くんもどう?」‌
 興味深げに皆の会話に耳を傾けていたのは、南の仕事上のパートナーである五十嵐楽人(らくと)だ。部長が差し出す団子をやんわり断って、二本目の団子をちまちまと(かじ)る南を見た。‌
「早乙女さん、最近、住人と人との区別がつきづらくなってる?」‌
 ズバッと訊かれて心臓が跳ねた。‌
「そ、そ、そんなことありませんよ!?」‌
「入社三ヶ月にして職業病」‌
「そんなわけないじゃないですか!」‌
 五十嵐が同情気味につぶやくからよけいに焦ってしまう。‌
 日々(にちにち)警備保障に入社してかかわるようになった異界の住人は、南の生活を一変させた。‌
 仕事中なら、仕事と割り切って接することができる。‌
 けれどそれ以上に深入りするつもりは毛頭ない。‌
「こんな非日常が日常になったら、私の日常はどこにいっちゃうんですかっ」‌
「早乙女さんもこっち側の人」‌
 五十嵐が嬉しそうだ。‌
「仕事熱心だねえ」‌
「さすがよ、南ちゃん」‌
 部長も山子も、あっぱれと言わんばかりにうなずいている。‌
 ごく普通に入社し、平々凡々に事務をこなし、適度に楽しい毎日を送るつもりだった南の生活は、とっくに()(たん)していた。‌
 日々警備保障、異界遺失物係に配属されたことによって。‌
 これは、そんな彼女の〝日常〟の物語。‌

【おわり】‌