羊姫の夏休み

「――レイヴィス先輩?」
わたしは周囲を見まわした。
いつのまにか、そばを歩いていたレイヴィス先輩が消えていた。
(また、はぐれてしまったの?)
クローネル国の王都シャプロンの大通り。
お昼時だからか、石畳が見えないほどの人混みのなかを、中央広場を目指して歩いていた。レイヴィス先輩はわたしのうしろに隠れるように――といっても小柄なわたしと長身の先輩じゃあまり効果はないかもだけど、せいいっぱい身体をちぢめてついてきていたはずなのに。
大通りを見わたすと、街路樹の後ろでうごめくもじゃもじゃを見つけた。
頭から腰までをモップみたいに覆いかくす黒灰色の髪と、薄汚れた森緑色の制服が特徴的な、いろいろわけありな鉱山国セイリオンの第三王子。
わたしは、すみません、失礼します、と人混みをかきわける。ふわふわの栗毛と制服のスカートをはねさせて、夏の陽光に煌めく街路樹の裏にまわりこんだ。
「ごめんなさい、気づくのが遅れて!」
「ち、ちがうんです、フィオナ姫は悪くありません」
先輩はあわてて首を横にふる。
「おれが通行人の流れにうまくのれなかったんです。ぶ、ぶつかりそうになって、避けているうちに姫とはぐれて、戻ろうとしてもできなくて……」
猫背の長身を丸めて、しょんぼりと肩を落とす。
わたしとレイヴィス先輩は、クローネル王立学院の女王である生徒会長に目をつけられ、生徒たちから避けられている仲間同士。先輩は〈醜い毛玉〉って嫌われて、牧羊国リルベラの姫であるわたしは、草の臭いがするって笑われてる。だからいつも二人ぼっちで、 昼晩と羊舎でいっしょに羊の世話をしているせいか、もじゃもじゃの髪に隠された先輩の表情もわかるようになっている。
いまはきっと、情けない顔をしてる。
(やっぱり人混みが苦手な先輩に、王都シャプロンは負担だったかな。でも生徒会役員の嫌がらせを心配しなくていい夏休みだし、二人での初めての外出だし、まだ用事の半分しか終わってないし……)
王立学院での滞在費にするために編んでいたストールは、馴染みの商会にきちんと卸せた。あとは食事をして、新学期に向けた学用品とかを買って帰る予定だったけれど。
どうしようかな、と考えていると、街路樹のそばを親子連れが通りすぎていく。
買い物袋を抱えた母親は、子供の手を引いている。
(……そうだ)
わたしは、失礼します、と先輩と手をつないだ。
「フィ、フィオナ姫――……⁉」
「これなら大丈夫です。もうはぐれません」
「え、あの、でも」
レイヴィス先輩はうろうろと周囲を見まわした。遠慮してるのかな? それともわたしの案内が心配とか?
「大丈夫です。王都シャプロンには、入学したころにも買い物に来ていますから。ちょっとお安めの学用品のお店も知っています」
「いえ、そ、そういうことでは……」
「昼食の場所ですか? そちらも大丈夫です。中央広場の屋台は混みあいますが、裏路地の噴水あたりは静かなので、人目を気にしないで食べられます」
「そ、そういうことでも……」
もごもごと答えた先輩の、黒灰色の髪からのぞいた耳は妙に赤くなっている。……真夏の晴天だし、もしかして暑気あたり? 身をよせてのぞきこむと、先輩はのけぞりながら、こくこくとうなずいた。よ、よろしくお願いします、とぎごちなく手をにぎりかえした。
わたしはあらためて大通りを歩きだす。
先輩を引き連れ、牧羊犬が先導するみたいに人混みを抜けていった。
「――ありがとうございました、またごひいきに」
店主の挨拶を背に、わたしとレイヴィス先輩は学用品のお店を出る。
買い物袋を片手に抱えて、さっそく先輩ともう片方の手をつないだ。閉まりかけた扉の向こうで、店主が微笑ましいものを見るような笑顔をにっこりと浮かべた。
(……なんだろう。ほかのお店でも、似たような笑顔で見られたけれど)
首をかしげると、夕方を知らせる鐘の音が聞こえた。
用事を終えたわたしたちは、そろそろ帰りましょうか、と大通りを帰路につく。太陽が西の端に近づくなか、店じまいをはじめた露店の前を通ったところで、王立学院の制服を着た男女を見かけた。
(……あれは)
男子生徒は弦楽部の侯爵家子息で、女子生徒は美化係の伯爵家令嬢。
王侯貴族の子女が集まる王立学院には、将来の〝お相手探し〟の側面もある。談笑しながら遠ざかっていく彼らの姿に、わたしは、やっぱり、と目を見張った。付き合っているとの噂を聞いたけれど、どうもそうみたい。親密そうに身をよせて、なにより手をつないでるし――……うん?
「手をつないでる……」
くりかえして、唐突に気づいた。
「!」
はっと下を向くと、レイヴィス先輩の手をにぎっている自分の手が見える。
(もしかして……だから)
うかつな自分に一瞬で顔が赤くなる。
店主たちから向けられた、意味ありげな笑顔の理由がやっとわかった。わたしと先輩はそんなんじゃないし、はぐれたら困ると思っただけだ。でも王立学院の制服を着た男子生徒と女子生徒。手をつないで、大通りを仲良く二人きり。付き合っていると噂の生徒たちとまったく同じ――
(どうしよう……)
ばつの悪い気持ちで視線を迷わせる。
おかしな誤解をされてしまったら、先輩に迷惑だ。だけど自分からつないでおいて、いまさらやめましょうとも言いづらい。夕暮れの雑踏をうつむいて歩いていると、先輩が不意に足をとめた。
「――フィオナ姫、見てください」
顔をあげると、レイヴィス先輩は近くの路地に視線を向けている。
細い路地の先には、ドーム屋根の建物が遠く見えた。
「あれはクローネル国王城の大書庫です。王立学院の初代校長エリオットが建設した、文化大国の叡智の象徴。〈調和の大地〉のあらゆる文献が収蔵されている――」
すごいです、本で読んだとおりの外観です、と感嘆の吐息をもらす。
そうして先輩はいつもどおり、王立学院の先生より豊富な知識を披露する。大書庫が建設された契機、当時の社会情勢、貴重な蔵書――それこそ頭のなかに大書庫があるみたいにすらすらと。
路地を吹きぬけた夕方の風が、重苦しい黒灰色の髪をさらった。
〈醜い毛玉〉と笑われているのが嘘のような、レイヴィス先輩の綺麗な顔があらわになる。冬空を思わせる水色の目は、好奇心できらきらと輝いている。
わたしは自然と微笑んでいた。
(……いいかな、このままでも)
夢中で語っている先輩を、隣でずっと見たいと思った。わたしの心は不思議なくらい、先輩の心に引きよせられてしまう。喜んでいたら嬉しいし、悲しそうなら辛くなる。
まるで同じ夕陽色に染められた、小さな手と大きな手のように。
(……これってなんだろう)
ふわふわとむずがゆくて、胸が温かい。
予感めいた気持ちに背中をおされて、わたしはつないだ手にそっと力をこめた。
【おわり】