夏はまだ、終わらない

ありがとう! 集英社オレンジ文庫9周年フェア『映画みたいな、この恋を』(いぬじゅん)スペシャルショートストーリー

 (はま)()()は今日も、空の色をマネして青く輝いている。‌
 打ち寄せる波が風の形を教えてくれているみたい。‌
 湖なのに海のように広くて、だけど穏やかで。堤防に腰かけて足を投げ出す。こうやって浜名湖を見るのが、私は昔から好きだった。‌
 ざざん、ざざん。‌
 頭上で輝く太陽と波の音。八月末になってもまだ夏はここにある。‌
「夏休みも終わりか」‌
 おばあちゃんが貸してくれた麦わら帽子を被ってみる。暑さは(やわ)らいだけれど、空が見えないのは悲しい。つばの先をあげるのと同時に、自転車を漕ぐ音が聞こえた。‌
 ふり向かなくても誰が来たのかわかる。‌
 聞きなれたブレーキ音のあと、‌
()()」‌
 (しょう)()が私の名前を呼んだ。‌
 はじめて気づいたかのようにふり向くの。そうしないと、この気持ちがバレてしまいそうで。‌
「なんか似た人がいるなって思ったら、やっぱり実緒か」‌
 青空を背に、制服姿の翔太が立っていた。まぶしい太陽のせいにして、わざと目を細める。‌
「ガッカリしたような言い方しないでよ」‌
「そんなつもりないって」‌
 ひょいと私の横に座った翔太が、‌
「熱っ!」‌
 と、アスファルトの熱さに飛びあがった。‌
 思わず笑ってしまう私に、翔太はムッとした顔をしたあと、同じように笑った。‌
「で、なにしてたの?」‌
 ひとしきり笑ったあと翔太がひょいと顔を覗きこんできた。‌
「なんにもしてないよ。この場所、お気に入りだから」‌
「俺は学校に呼び出しされてた」‌
 知ってるよ。‌
 映画の撮影に協力した翔太に、制作会社から感謝状が贈られたんだよね。地元の新聞社の取材を兼ねて、今日は高校に呼び出されていた。‌
 待っていたわけじゃない。ただ、少し心配だっただけ。‌
「で、結局どうなったの? 顔出ししたくないって言ってたよね」‌
 そう尋ねると、翔太は軽くうなずいた。‌
「新聞社には昨日断っておいた。校長先生はかなり残念がってたけどな」‌
「もったいない。せっかく新聞に載るチャンスだったのに」‌
「いやあ」と、翔太は困ったように笑う。‌
「感謝状をもらっただけで十分。顔写真なんて載ったら、みんなになに言われるかわからないし」‌
 くしゃっと笑う横顔から、意識して浜名湖へと視線を戻す。‌
 ざぶん、ざぶん。波の音にかぶせるようにセミが鳴いている。‌
 少しの沈黙のあと、翔太が空を見あげた。‌
「今年の夏は、一生忘れられないな」‌
「そうだね。まさか、映画の撮影隊がこの町に来るなんてね」‌
「実緒は動画がバズったしな」‌
 映画のロケ地になるだけでもすごいことなのに、私はエキストラとして出演までした。さらに、本番で転倒してしまった動画が話題にもなった。‌
「その動画を撮ってたのは翔太でしょ。ひとごとみたいに言わないでよね」‌
「ごめんごめん。でも、すごいことだよなあ」‌
 あっけらかんと言う翔太が、いつか遠くへ行ってしまうような気がした。‌
 翔太の動画チャンネルは登録者数を順調に伸ばしているみたいだし、今回のことで映画関係者とも知り合いになれただろうし。‌
私はそのとき、なにをしているのだろう?‌
 暗い気持ちをふり払うように「でもさ」とあえて翔太に顔を近づけた。‌
「最近、動画を更新してないよね?」‌
「夏休みの課題でそれどころじゃないし」‌
 幼なじみだからわかること。ウソをつくとき、翔太はいつも肩をすくめる。‌
 自分でも気づいたのか、翔太はキュッと口をすぼめた。‌
「この町の魅力を発信したい気持ちはあるけどさ、それよりもケーキ屋を再開したいんだよ」‌
 翔太の家は、私が生まれる前からケーキ屋を営んでいた。今年の春に閉店して以来、彼には店を再開するという夢ができた。‌
「おやじに特訓してもらってるんだけど、ショートケーキはうまくできても、ミルフィーユとかタルトタタンは全然ダメ。カヌレなんて一生かかってもムリな気がしてる。あ、でもオペラはうまく作れるようになった」‌
 タルトタタンやオペラをどう作っているかはわからないけれど、ケーキの話をする翔太が好きだった。いつもよりやさしい目と声に、じんわり胸があたたかくなる。‌
「そういう気持ちにさせてくれたのも、あの映画のおかげかもしれない」‌
「そっか」‌
 私もこの夏はいろんなことがあった。友だちのこと、親とのこと、将来のこと。‌
 そして、自分が本当に好きな人は誰かということも知った。‌
「あのさ」と、翔太が私を見つめた。‌
 急に真剣になる瞳に戸惑っていると、翔太が私の帽子のつばをグイとおろした。‌
「ちょっと、これじゃなんにも見え」‌
「映画が公開されたらさ話したいことがあるんだ」‌
 閉ざされた視界の向こうで、翔太の声がした。‌
「え?」‌
 驚いて帽子を取ると、翔太はもう自転車に向かって歩いていた。‌
「今はまだ言わない。だから聞かないで」‌
「あうん」‌
「これから遊びに行かない? 俺たちだけで映画のロケ地巡りをしようぜ」‌
 胸のドキドキを助長するように、夏の日射しが降り注いでいる。‌
 答える代わりに翔太の隣に立つと、彼は照れた顔で自転車を押して歩き出した。‌
 この夏、私は映画のような恋をした。‌
 季節がいくつ過ぎたとしても、翔太がそばにいてくれますように。‌
 ひそかな願いに応えるように、浜名湖はさっきよりもやさしく光っていた。‌
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【おわり】 ‌
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