弁当探偵 後編

‌ 昼休憩時の職員食堂にて。
‌ ランチメンバーの(つど)うテーブルは爆笑の(うず)に包まれた。タッパーに入れて持ち込んだ私の玉子焼きが、見るも無残な姿に変貌(へんぼう)()げていたからだ。そこそこ綺麗な黄色だったはずの生地に、青カビのような斑点(はんてん)が浮かんできている。
‌「ちょっと、もう早く片付けてよっ。食欲が失せる」
‌「おかしいなー。作りたてのときは美味(おい)しそうな色だったのに」
‌ とにかく味は問題ないだろうと、一口食べた直後、私はすぐさまお冷やの入ったグラスに手を伸ばした。塩辛すぎる。塩と(しょう)()でしっかり味付けした玉子と、大量に混ぜ込んだ紅ショウガの、負の相乗効果だ。
‌「(くや)しい
‌ お冷やの透明なグラスに映る自分の顔は、涙目になっている。昨日の梅星さんの言っていたことが、早くも信じられなくなっていた。いくら自分にとって唯一無二のお弁当でも、失敗作は失敗作だ。不出来な玉子焼きを笑顔で口にしていたユカリさんの気持ちも、ますますわからなくなる。
‌「あら、梅星さん?」
‌ ランチメンバーの一人がそう言ったのを聞いて、私は思わず顔を上げる。梅星さんは昼食を終え、食堂を出ていくところのようだった。わざわざ私のいるテーブルの近くを通りかかったのは、私のお弁当の出来を確かめに来たということなのだろう。
‌ 予想通り、梅星さんはテーブル上の玉子焼きにちらと視線を向けた。そして。
‌「ふふっ」
‌「鼻で笑う」という表現がこの上なく相応(ふさわ)しい笑い方をして、梅星さんはテーブルを通り過ぎていった。
‌ 颯爽(さっそう)と歩き去る背中に向かって、今に見ていろと心の中で(つば)を吐く。テーブルの方に向き直ろうとしたとき、出入り口付近のカウンター席にいる人物がふと目に留まった。白須さんだった。
‌「白須さんもこの食堂でご飯食べてるんだ」
‌「え、玉田さん、今更?」
‌「いつも一人よね、あの人。友達いないもの」
‌ ランチメンバー達はクスクスと笑い、白須さんの悪口に花を咲かせた。男性職員には甘すぎるほど甘く、女性職員特に若手や容姿に恵まれた人への態度は(しゅうとめ)のごとし。今年主任になったばかりだが、お(つぼね)への道まっしぐら云々(うんぬん)
‌「白須さん、私にはかなり優しいのですが」
‌「玉田さんは女子力ないから、女と認識されてないのよ」
‌ 失礼極まりない発言だが、大失敗の玉子焼きを披露してしまった以上、ぐうの()も出ない。
‌「でもやっぱり、一番目を付けられてるのはユカリさんだよね」
‌「同い年で結婚して子どももいるってところが、(しっ)()(しん)()き立てるんだろうね。白須さんは独身だから」
‌「婚活はしてるみたいだよ。ノー残の日にオシャレしてパーティ会場に入っていくとこ見た人がいるんだって」
‌ 色々と言われているが、白須さんには白須さんの苦労がありそうだ。だからといって、仕事で男性を贔屓(ひいき)したり、特定の人にキツく当たったりするのは許されざることだが。
‌ ユカリさんの玉子焼き問題に白須さんが絡んでいるかはさておき、今は自分の玉子焼きを上手に作りたいという気持ちの方が大きかった。どうして玉子焼きの色があんなにも変わってしまったのだろう。悶々(もんもん)とした気持ちのまま午後の業務を始めようとしたとき、パソコンにまた梅星さんからチャットのメッセージが届いていた。
‌『紅ショウガ入りの玉子焼きの変色を防ぐには、少しだけマヨネーズを入れること』
‌ 不覚にも、うるっときてしまった。どういう原理で変色を防ぐのかはわからないが、仕事が終わったら自分で調べてみよう。
‌そして今日は帰りに忘れず、四角いフライパンを買って帰ろう。

‌ 紅ショウガを入れた玉子焼きに青カビのような変色が起きるのは、紅ショウガに含まれるアントシアニンと卵白が反応するから。アントシアニンにはphによって変色する性質があって、アルカリ性の卵白と反応すると青緑色になる。だから酸性の調味料を入れて中和させることにより、変色を防ぐことができる。
‌「マヨネーズに入ってるお酢もレモン汁も酸性なのかさすが梅星さん」
‌ 私は仕事帰りに電車で買い物に向かいつつ、スマホで紅ショウガ入りの玉子焼きの作り方を調べた。
‌マヨネーズを入れた玉子焼きは割と一般的らしく、ウェブ上で色々なレシピが掲載されている。今は誰でも気軽に自分のレシピを発信できる時代であり、それぞれのレシピのちょっとした工夫(くふう)から、その人の背景がうかがえる。
‌『野菜嫌いな息子もペロリ! すりおろしニンジン入りマヨ玉子焼き』というタイトルでブログにレシピを掲載しているのは、離乳食を終えたばかりのお子さんを育てる主婦。
‌『帰宅後十五分で三品ガッツリ晩ご飯』は、多忙な一人暮らしの会社員。
‌『ボリュームたっぷりで家計に優しい、かさ増しレシピ』は、三世帯十人で暮らす大家族。
‌ 梅星さんの言ったことを思い出す。毎日のお弁用にも、ご飯にも、その人の暮らしぶりが(にょ)(じつ)に表れるのだ。
‌ 有名チェーン店の家具屋で、四角い玉子焼き用のフライパンを購入した。それともう一つ買いたいものがある。
‌「()(すい)全然しないからって、エプロンすら持ってなかったんだよねー」
‌ エプロン売り場を求めてフロアを()り歩きながら、どういったものを買うか妄想を(ふく)らませる。可愛(かわい)いデザインも捨てがたいが、洗いやすさや着心地、それに汚れの目立たない色合いであることも大事だ。
‌ エプロンはキッチン用品売り場の片隅に、ハンガーラックに並べて掛けられた状態で売られていた。
‌ そして、エプロン売り場には思いがけない先客がいた。
‌「ユカリさん?」
‌ エプロンを選んでいたユカリさんは、私の声に振り向くと、いつもお弁当を食べているときと(まった)く同じ笑顔で「玉田さんもエプロン見に来たの?」と尋ねてきた。
‌「は、はい。恥ずかしながら、まだ一着も持っていなくて」
‌「へぇーそうなんだ」
‌ ユカリさんはそれ以上突っ込んだ話はしてこなかった。が、さっき「玉田さんも」と言ったということは、彼女もエプロンを買いに来たと思って間違いないだろう。
‌ 私は疑問を抱かずにはいられなかった。家事歴も長く、毎日お弁当を作っているユカリさんなら、エプロンの一着や二着持っていそうなものだ。古くなったから買い替えるのだろうか。
‌ 気になって自分のエプロンを選ぶこともままならずにいると、ユカリさんは何も買わないまま「じゃあ、また明日」と売り場を離れようとした。
‌「買わないんですか?」
‌「うーん。思ってたようなのがなかったから、別のお店で布を買って自分で作ることにするわ。ちょっと面倒だけど」
‌ 私は思わず、ハンガーラックに掛かった色もデザインも様々なエプロンを見比べる。果物の模様が描かれた可愛いものや、デニム生地でできたカジュアルなもの。肩掛けタイプに首掛けタイプ、腰に巻く前掛けタイプ。こんなに種類があるのに、ユカリさんは気に入ったものが見つからなかったというのか。
‌「ああ、もう本当にわかんなくなってきた。いいや。私はこのデニム生地の肩掛けにしようっと」
‌ 私が選んだデニム生地のエプロンは、胸元にワンポイントで可愛いおにぎりマークの()(しゅう)(ほどこ)されていた。ごまを混ぜ込んだ三角のおにぎりで、真ん中に赤い梅干しが入っている。

‌ 翌朝、二度目の玉子焼き作りに挑戦した。
‌お弁当全部を作るのは私にとってハードルが高いことがわかったので、今回は最初から玉子焼き一品だけ作るつもりで前の晩に目覚ましをセットした。せっかく買ったお弁当箱はしばらく使えそうにないけれど、代わりにおにぎりマークのエプロンを身に着け、後ろで紐をきゅっと結ぶ。
‌ ボウルに卵二個を割り入れて、マヨネーズと(しろ)出汁(だし)で味付けする。その後に細切り紅ショウガを入れるのだが、ネットで調べたコツを試してみることにした。味付けした卵液を半分ずつに分け、片方にだけ紅ショウガを入れるのだ。
‌ 四角いフライパンを中火にかけ、油を引く。十分に温まったら、まず紅ショウガの入った方の卵液を数回に分けて流し入れ、端から巻いて丸めていく。
‌ 最後に紅ショウガを入れていない卵液を入れ、全体的に形を整えたら完成だ。具材のない生地で外側をコーティングすることによって、見た目も良く、崩れにくい玉子焼きになっているようだった。

‌「先輩方。見てください、頑張りましたよーっ」
‌ その日の昼休憩。私がタッパーの(ふた)を開けた瞬間、ランチメンバー達は「おぉーっ」と拍手(はくしゅ)(かっ)(さい)を上げた。そんな素晴らしい出来栄えでもないけれど、昨日の青カビと()(まが)う物体に比べれば十分すぎるくらいだ。味も、マヨネーズのコクと紅ショウガの(から)みが、互いを相殺(そうさい)しない絶妙なバランスを保っている。
‌「でも玉田さん、どうして急に玉子焼きなんて作ってくるようになったの?」
‌ ランチメンバー達が尋ねてくる。そういえば、彼女達にはまだ話していないんだった。ユカリさんの玉子焼きのこと。そして、その謎を巡って私と梅星さんが親しくなりつつあること。
‌「ええと、最近お金がピンチだから、自炊始めてみようかなと思って
‌ 嘘がバレバレだろうか。玉子焼きだけ作って牛丼を注文するなら、(かえ)ってお金がかかってしまうかもしれない。
‌「お冷やなくなっちゃったから、貰ってきますね」
‌ いつぞやと同じく、苦し(まぎ)れにそう言って席を立った。梅星さん達のいるテーブル席の傍を通りかかったとき、今日もユカリさんのお弁当の中に玉子焼きが入っているのが見えた。
‌ しかし、その玉子焼きが昨日までと少し違った。少し表面が焦げているものの、上手(うま)くなっているようだった。
‌「玉田さん。どうしたの、ジロジロ見ちゃって」
‌ 私の視線に気づいた梅星さんが、声をかけてくる。その隣でユカリさんはニコニコと玉子焼きを頬張っている。
‌「いえ。今日も皆さんのお弁当が美味しそうだなと思って私も頑張りますね」
‌ そう言ってすぐにテーブルを離れた。
‌ 梅星さんは、ユカリさんの玉子焼きの変化に気づいているだろうか。

‌ 次の日、また次の日と、ユカリさんの玉子焼きは少しずつ上達していくようだった。見た目が花の形になっていたりと、アレンジも幅広くなってきている。
‌ そして上達していくのはユカリさんの玉子焼きだけにあらず、私の方も日に日に玉子焼き作りが楽しくなってきた。
‌「玉田さん、最近何だか幸せそうね」
‌ ある日の昼休憩終わり、女子トイレの洗面台のところで久しぶりに梅星さんと二人きりになった。
‌「自分で作る玉子焼きがどんどん()(れい)に、美味しくなっていくのが楽しくて。自分が成長できているのが嬉しいんです」
‌ もちろん料理上手(じょうず)な人から見れば、取り立てて幸せを感じるほどのことではないだろう。けれど、生まれてから一度も手作りのお弁当を食べたこともなかった私にとっては、自分の手で作る玉子焼きがとても(いと)おしく、どんどん上達していくことが楽しくて仕方ないのだ。
‌ そんな私の様子を見て、梅星さんは何かを思いついたようだった。
‌「きっとユカリさんも同じ気持ちなのよ。私、彼女の玉子焼きの謎がわかったわ」
‌「え、同じ? 私とユカリさんが?」
‌ 確かにユカリさんの玉子焼きも、少し前に比べればどんどん上手くなってきている。それを食べているときの表情も幸せそのものだ。
‌ だけど私と違って、ユカリさんはもともと玉子焼き作りがとても上手だったと聞いている。それがある日を境に失敗が続くようになったかと思いきや、最近はまた美味しそうな玉子焼きを作ってくるようになった。
‌「はは。ユカリさんは私と違って、成長したっていうよりも、調子を取り戻したって感じじゃないかな」
‌ ユカリさんを私なんかと同列に扱うのは何だか申し訳なく思い、へらっと笑いながら否定しようとする。が、梅星さんはそんな私の態度に屈することなくこう言い切った。
‌「いいえ。ユカリさんのあの玉子焼きも成長なのよ。彼女はそれを喜んでる」
‌ 梅星さんは洗面台に映る自分の顔を真っ直ぐ見ながら、ゴムで髪をきゅっと結い上げる。午後の業務開始が迫っている。
‌「来週、私の推理が当たっているかを確かめるために、ちょっとした会合を開いてみることにするわ。玉田さんもいらっしゃい。手作りの玉子焼きを持ってね」
‌ いったい何をするつもりなんだろう。疑問を振り切るようにして午後の業務に(いそ)しんでいたところ、定時五分前になって入院係全員(あて)に梅星さんからこんなメールが送信されてきた。
‌『職員の皆様と親睦(しんぼく)を深めたく、来週水曜日にランチ会を開催させていただきます!
‌ 南館一階のミーティングルームを押さえましたので、ご都合のつく方はお気軽にどうぞ。
‌ ※昼食は各自お持ちください。
‌ ※ささやかな差し入れとして、手作りのプリンも用意させていただきます』

‌ 梅星さん主催のランチ会には、二十人弱いる入院係のうち十人以上が参加を表明した。個人業務の多い入院係の面々は仕事以外での交流もあまり好まない。前に課長主催で飲み会を開こうとしたときは三人しか集まらずお流れになったこともあるらしい。
‌ それに比べれば、今回のランチ会の参加率は素晴らしいものだ。梅星さんの人望のなせるわざだろう。
‌「わぁーっ、梅星さんのプリン美味しそうー!」
‌「表面のカラメルがブリュレ風だし、上からホイップクリームも(しぼ)ってる」
‌ 梅星さんが待つ会場を最初に訪れたのは私。次いで私のいつものランチメンバー達が姿を現す。
‌ 会議用の大テーブルには、それぞれの席に梅星さんの自家製プリンが置かれている。そんな中、次に現れたのは皆にとって予想外の人物だった。
‌「え、白須さん?」
‌ いつも一人行動が定番の白須さんは「まぁ、たまにはと思って」と言いながら、()いている席をキョロキョロと妙に念入りに見比べ、その中の一つに座った。
‌ 普段談笑の輪の中にいない人が一人混ざっただけで、空気は嘘のように静かになる。そんな中、次に現れたのはいつも通りお弁当入りのミニトートを持ったユカリさんだった。
‌ 入室しているのは参加予定者のうち半数ほどで、まだ空席もかなり見られる。しかし、何を思ったのかユカリさんは一直線に白須さんの隣の席に来て座った。
‌「大丈夫かな、あの二人。仕事中みたいに険悪にならなきゃいいけど
‌ ランチメンバーの一人が横から私に耳打ちしてくる。そうこうしている間に参加者が揃い、梅星さんの差し入れ効果もあってランチ会はひとまず和気あいあいとした(ふん)()()で始まった。
‌「玉田さんは自作のおにぎり? かなり大きいけど美味しそう」
‌ 梅星さんの一声で、参加者十人強の視線が一斉に、ラップに包まれた私のおにぎりに向けられる。
‌「えへへ。中に玉子焼きとお魚ハンバーグを入れて、スパムおにぎり風にしてみたんです」
‌ あれから私の玉子焼きバリエーションも順調に増えてきている。今日の玉子焼きは甘めに味付けしているので、お魚ハンバーグの塩気が程よく(かん)()され、自画自賛できる味だ。
‌「最初は青カビの玉子焼きだったのにね」
‌「もう、それはなかったことにしてくださいよ!」
‌ 私とランチメンバーの漫才みたいなやり取りを見て、参加者達はどっと笑う。「青カビ?」「どういうことー?」と質問攻めにされ、自然と私が例の黒歴史を披露する雰囲気になっていった。
‌ しかし、今まで(まった)く口を開かなかった人物の一言が、会話の流れをぴしゃりと中断させた。
‌「ねぇ、ユカリさんのそれは何なの?」
‌ 盛り上がっていた皆が、あぁ、と声には出さず頭を抱えるようなしぐさをする。声を上げたのは白須さんに他ならなかった。コンビニ弁当を食べている最中の(はし)の先を、隣にいるユカリさんのお弁当箱の方に向けている。
‌「ええと玉子焼きですけど」
‌「うっそー! 全然形になってないから、スクランブルエッグかと思っちゃった」
‌ ユカリさんが白須さんの隣の席に座ったときから、私達がずっと恐れていた事態が現実になってしまった。皆、自分がターゲットになったわけでもないのに、ユカリさんに対する心配で顔が青ざめている。
‌ だけど私が感じたのは、ユカリさんへの心配だけではなかった。白須さんに対する怒りだ。朝早起きして、おかずを作り、箱につめる。経験のない人にとっては簡単なことのように思えるかもしれない。けれど、一度でもお弁当を作ったことのある人なら、人の玉子焼きが少しくらい(いびつ)だからって笑う気など起きないはずだ。
‌ コンビニ弁当の形も焼き目も美しい玉子焼きを、白須さんはこれ見よがしに口に運ぶ。悪態をついてやろうと身を乗り出しかけた私を、横から梅星さんが腕で制した。
‌「梅星さん」
‌「大丈夫よく見てなさい」
‌「え?」
‌ 梅星さんにたしなめられ、再び白須さんとユカリさんに目を向ける。
‌ ユカリさんは笑っていた。前々から失敗作の玉子焼きを毎日持ってきていたときと同じように。
‌ そして、その理由が、彼女の白須さんへの返答で全て明らかになった。
‌「あはは。最近上達してきたから、だし巻き玉子に挑戦したら、水分が多くて失敗しちゃったのよ娘が」
‌ 嘲笑(ちょうしょう)を浮かべていた白須さんの顔が、一瞬にして梅干しみたいに真っ赤になる。
‌「はぁ!?」
‌ ユカリさんのお弁当に毎日入っていた玉子焼きは、彼女でなく娘さんが作ったものだったのだ。横目で梅星さんの様子をうかがうと、何も言わずただ満足そうに微笑(ほほえ)んでいた。
‌ 先日、玉子焼き作りが楽しくなってきた私に向かって、梅星さんが言った言葉を思い出す。
‌『ユカリさんのあの玉子焼きも成長なのよ。彼女はそれを喜んでる』
‌ 梅星さんはやはり、ユカリさんの玉子焼きの秘密に気づいていたのだ。最初は目も当てられない出来栄えだったものが、だんだん上手になっていったのは、娘さんの毎日の成長の軌跡だ。
‌「実は、上の子が二学期に小学校の調理実習で玉子焼きを作る予定みたいでね。クラスの気になる男の子に良いところ見せたいからって、毎日家で練習するようになっちゃって」
‌「わぁー、そうだったんですね」
‌「この間、エプロンも布から作ってあげたのよ」
‌ エプロン売り場で(はち)()わせたとき、ユカリさんは「思ってたようなのがなかった」と言って何も買わずに去ってしまった。思い返してみると、あの売り場は大人用のエプロンはたくさんあったが、子ども用はほとんど置いていないようだった。
‌ 嫌みを言った白須さんを置き去りにし、皆の話題はユカリさんの娘さんのことで持ち切りとなった。ざまぁみろ、と私は心の中で白須さんに向かって舌を出した。

‌「え? 白須さんってプリン好きなんですか?」
‌ あのランチ会の後日、たまには病院の外でランチしないかと梅星さんに誘われ、一緒に近くのカフェに来ていた。デザートに注文したクレームブリュレは、ランチ会で梅星さんが持参したのと同じように、カラメルの上にホイップクリームが絞られている。
‌「そうよ。白須さん、いつも職員食堂のプリン食べているんだもの。それで、私のランチ会でもプリンを用意したら来てくれるかなと思って。(あん)(じょう)、白須さんったら部屋に入ってくるなり()いてる席のプリンを見比べて、一番クリームが多く載ってるのを選んだ」
‌ 梅星さんはクリームのついた口元をほころばせてそう言った。白須さんがランチ会に来るように仕向けたのは、梅星さんによる作戦だったのだ。彼女が参加すれば必ずユカリさんの玉子焼きについて嫌みを言い、そこで全てが明らかになるだろうと。
‌「だけどまさか、ユカリさんがお弁当に歪な玉子焼きを入れていた理由が、娘さんの料理の練習だったなんて驚いちゃったよ」
‌「んー
‌ 私は梅星さんの推理を賞賛したつもりだったが、何故か彼女は浮かない顔だ。
‌ 実は、梅星さんの推理には、まだ少しだけ続きがあった。
‌「ユカリさんの玉子焼きの出来が悪かった理由は、娘さんが作っていたから。それは確かに事実よね。だけどそれじゃあ、ユカリさんが毎日その玉子焼きを自分のお弁当に入れてきた理由は?」
‌「え?」
‌「ユカリさん、ランチ会のときも娘さんの玉子焼きをお弁当に入れてきてそしてわざわざ白須さんの隣の席に座った」
‌「
‌「その前にも、あなたが彼女の玉子焼きを見ていたとき、彼女ニッコリ笑って『どうかした?』ってあなたに尋ねた。まるで玉子焼きのことを聞いてくるのを待ち望んでいるかのように」
‌ まさか。
‌ 玉子焼きを作ったのが娘さんだと知ったときよりもずっと大きな衝撃が私を襲った。ユカリさんは、娘さんの成長を職場で披露したくてたまらなかったのだ。だから毎日、玉子焼きをお弁当に入れて持参した。しかも、ランチ会での彼女の言動からして、ユカリさんが娘さんの玉子焼きを見せつけたかった一番の相手は、彼女にとって天敵の
‌「ユカリさん、白須さんに対する怒りがよほど溜まっていたみたいね。婚活で苦戦している彼女相手に、あんな笑顔で娘さんの話を披露するんだから」
‌ 娘さんの成長は微笑ましいものだ。けれど、職場の大人同士の攻防は、玉子焼きのようにホッコリというわけにはいかないらしい。
‌ 毎日のお弁当には、その人の暮らしぶりが如実(にょじつ)に表れる。ときには、美味(おい)しいご飯を食べる以外の意図や策略が見え隠れすることも。
‌「玉田さんのお弁当は、邪念がなくて本当に素敵だと思うわ。今度、私にも作ってね」
‌「はは了解です」
‌ お弁当の裏に邪念を読み取ろうとする、弁当探偵の梅星さん。いったい今度は誰のどんなお弁当に目を付けるのか。
‌ そして、お弁当作りの楽しさに目覚めた私は、これからも梅星さんいわく「邪念のない」お弁当を作っていく。もしかするとそれが、今回みたいに梅星さんの推理に何かヒントを与えられるかもしれないしね。

‌【おわり】