冬の狩猟祭にて

ワルキア公国では年に一度、冬に狩猟祭を開催する。
現ワルキア公ブラッド様の妻である私は、来る狩猟祭に備え、何かすることがあるのか、とストイカ家の侍女、セラへと質問する。
「セラ、もうすぐ狩猟祭だと聞いたのですが、わたくしのお役目などありましたら、教えていただけます?」
「ああ、そういえばお伺いしておりませんでしたね。得物は何を使われるのですか?」
「え、得物、ですの?」
「はい。ご実家から持ってこられた物にするか、新しい物を選ばれるか」
「その、わたくしと狩猟祭の得物はどう関係するというのでしょうか?」
ここでセラは私との会話がかみ合っていないことに気付いたようだ。
「毎年開催される狩猟祭はさまざまな部門があるのですが、大公夫妻は夫婦対抗部門に参加するのがお決まりのようです。もしかして、エリザベル様のお国ではそのような催しではないのですか?」
「ええ、そうなんです、狩猟をするのは男性のみで、女性は狩猟館でお茶会を開くのがお決まりでした」
「そうだとは知らずに、申し訳ありませんでした」
「いえいえ! 間違いは誰にでもありますので」
にこやかに言葉を返したものの、私は内心焦っていた。
まさか狩猟祭に夫婦対抗部門があるとは夢にも思っていなかったからである。
「わたくし、狩猟の心得などなくて」
正直にそんな申告をすると、セラの瞳が見開かれる。
「嗜みでも、狩猟をされないのですか?」
「ええ」
なんでもワルキア公国では女性も武器の心得を持ち、狩猟に出かけることもあるという。幾度となく侵攻を受ける小国であるため、有事の際は女性ですら戦うこともあるようだ。
「皆様、勇敢ですのね」
なんて言葉を返していたが、他人事のように言っている場合ではないことはわかっていた。
「いかがなさいますか?」
「一度、ブラッド様に相談します」
狩猟なんてわずかな短時日で習得できるわけがないのだ。すぐにストイカを通じてブラッド様をお茶に誘い、狩猟祭について話をすることとなった。
ブラッド様は私が手ずから淹れた紅茶を幸せそうに飲んでいる。
以前、紅茶はまったく飲まないと言っていたので、布教するつもりで淹れたら、好きになってくれたのだ。
「ふむ、エリザベルが淹れる紅茶は特別おいしいな。ストイカが淹れたものとは味わいが大きく異なる」
ワラキア公国ではワインは広く流通し食卓にも上る。こういった憩いの場では、紅茶よりも珈琲が好まれていたようだ。
「エリザベルのおかげで、紅茶の味を覚えることができた」
「ふふ、光栄です」
「しかし、どうしてエリザベルが淹れる紅茶はこのようにおいしいのだろうか?」
「そうですわねえ。愛というフレーバーが入っているからでしょうか?」
「なんだと⁉」
冗談のつもりで言ったのだが、ブラッド様は信じてしまったようだ。
「エリザベルの紅茶は〝愛〟だったのだな!」
「まあ、そうですわね」
「ならば私も紅茶の淹れ方を習い、エリザベルに愛を伝えようか!」
「ブラッド様の愛は十分に伝わっておりますので!」
「そうか?」
「ええ!」
なんというか、ブラッド様は時が経つにつれ、父君に似てきているように思えるのは気のせいだろうか?
きっと愛情深い血筋なのだろう。
と、お茶会を楽しんでいたが、ブラッド様は仕事の合間を縫って時間を作ってくれたのだ。早急に本題へ移らないといけない。
「あの、ブラッド様、報告がございまして」
「どうした?」
「狩猟祭についてセラから話を聞いたのですが、当日は夫婦対抗部門に参加すると」
「ああ、そうだったな」
以前までは父君と母君が優勝していたらしい。
「母が喜ぶから、と父ははりきっていたようで」
「そうだったのですね」
やる気満々な様子で狩りに出かける父君の様子が想像できる。と、ほのぼの話を聞いている場合ではなかった。
「ブラッド様、実はわたくし、狩猟をしたことがない上に、武器の心得もなくて」
「そうだったのだな」
もしかして私と同じように異国から嫁いできた母君もそうだったのか、と思ったものの違った。母君は狩猟を嗜んでいて、ある程度武器の扱いなど心得ていたようだ。
「武器を操ることができる者が大半を占める国など、ワルキア公国くらいだろう」
「そう、かもしれないですね」
これから何か覚えたほうがいいのか、と尋ねるも必要ないという。
「狩猟は私が行うから、エリザベルは応援してほしい」
「それでよろしいのですか?」
「ああ」
ひとまず、問題ないというので深く安堵したのだった。
しかしながら、ブラッド様が大丈夫だと言ったからと言って、何もしないわけにはいかない。
私はセラに武器を習うことに決めた。
「エリザベル様、無茶ですよお!」
ゾフィアは先ほどから心配しかしていない。
別に習得したいわけではなく、武器がどういった物なのか触れて知っておきたいだけなのに。
そうこうしているうちに、セラがやってくる。
「エリザベル様、お待たせしました」
「はい、お願いいたします」
まず、弓を引いてみることにした。
「こちらは子どもから成人女性までの比較的非力な方が扱いやすいように作られた品で、最初に触れるに相応しい物だと思われます」
「ありがとう」
初めて弓に触れてみる。思いのほかずっしり重たく、ピンと張られた弦は触れたら手を切ってしまいそうだ。
「エリザベル様、ケガをされないように」
「ゾフィア、わかっていますわ」
ゾフィアが用意した革袋を嵌めているので、ちょっとやそっとではケガなんてしないだろう。そう思いつつ、弦を引いてみた。
「――え⁉」
弓が大きくしなるのをイメージしていたが、思いっきり引いているのにほんの少ししか動かせなかった。
「弓って、こんなに引けないものなのですか⁉」
「そう、ですね。最初のうちは、皆そうかと」
セラが言葉を慎重に選びながら言っているのが分かってしまう。
それから何度か挑戦するも、上手く引けるようにはならなかったのだ。
どうやら弓を扱うセンスはないらしい、ということがわかった一日であった。
◇◇◇
狩猟祭当日を迎えた。
一年ぶりの開催とあって、狩猟祭はおおいに盛り上がっているようだ。
先ほどは親子対抗部門があり、ストイカ親子が優勝したらしい。
続いて夫婦対抗部門が始まる。ブラッド様と一緒に馬に乗ると、優しく声をかけてくれた。
「エリザベル、今日は共に頑張ろう」
「はい」
私ができることなんてない。そう思っていたが――。
『ガアアアアア!!!!』
森の中でいきなり森の主みたいな大きな熊に追われていた。
ブラッド様は馬を駆り、ひたすら走るばかりである。
「よし、そろそろだな」
いったい何が? と思った瞬間、馬が大きく跳躍した。
「――っ‼」
次の瞬間、熊の叫び声が聞こえる。
ブラッド様は馬を止めたので振り返った。
地面には大きな穴が空いていて、そこに熊が落ちたらしい。
「仕上げだ」
そう言ってルビーのような粒を穴に投げ込む。すると、魔法陣が浮かんだ。
「これは、手書き刺繍ですか?」
「ああ」
熊は荊に抱かれた状態となり、動けなくなっていた。
なんでも落とし穴を掘り、そこに私が手書き刺繍を刺した布を入れていたらしい。
先ほどのルビーのような粒は、ブラッド様の血を固めたものだったようだ。
「言っただろう? 共に頑張ろう、と」
まさかこんな形で狩猟に参加できるとは夢にも思っていなかった。
結果、大きな熊を仕留めた私達が夫婦対抗部門で優勝する。
大盛り上がりの中、狩猟祭は幕を閉じたのだった。
【おわり】