記事の中の人

乙羽独楽子は、念願かなって何とか記者としての職を得た。
東京日出新聞が初めて採用した婦人記者。担当するのは、三面の化け込み記事である。
そも東日は、政論を主の大新聞を前身とする硬派な紙面作りが売りだ。素性を隠して取材先に潜り込み、内情を記事にする化け込みは、これまでは軟派な記事とみなされ、見向きもされずにいたという。
だが昨今の新聞の熾烈な販売競争に押され、売り上げが振るわない中、初の婦人記者による新しい企画を通して新規の読者を開拓せんと、何とか承認が下りたのだ。
一回目はまずまず、二回目はそれなりの評価を得た。
そして迎えた三回目。独楽子は取材先として浅草オペラを選んだ。
人気劇団に新人女優として化け込んだのである。
(どんな記事を書こう……)
目のあたりにした劇団内でのいざこざや、看板女優ふたりの対決騒動など、読者の興味をかきたてるネタは多々あれど、それだけで終わらせたくはない。
そもそも今回このネタにしたのは、浅草オペラについて、低俗な見世物を粗製濫造しているという世評が正しいものかどうか検証するためでもあった。
結果、確かにそういう劇団もあるが、志の高い活動をする劇団も存在するとわかった。
ことに独楽子が化け込んだ「紅歌舞団」は、西洋の文学や音楽をきちんと学んだ主催者たちによる、質の高い作品を上演していた。
看板俳優である江藤は、歌唱力もさることながら、「ハムレット」をすべて原語で暗誦していたほどだ。
(そうね。それも記事のどこかに入れないと――)
また所属する俳優、女優はみんな勤勉だった。毎日厳しい稽古と、一日三回も四回もある公演を精力的にこなしていた。世間が噂するような、自堕落で奔放な生活とはほど遠い。
(とはいえ、どう書こうかしら……)
にぎりしめた鉛筆の背をくちびるに当てて考える。
その時ふと、化け込みのさなか、いっしょに稽古した少女を思い出した。
『マメっていうの』
独楽子に自己紹介をする時、彼女ははにかむようにほほ笑んだ。
『変な名前でしょう? うちの田舎は子供が多くて、いちいち凝った名前を考えてもらえるのなんか長男くらいで。あとは適当なの。ほとんどの子は、大勢の中のひとりでしかなかった。あたしもそう』
子供の頃から家の畑仕事を手伝っていたが、不作が続いたため、口減らしとして東京へ奉公に出された。そして奉公先で知り合った仲間に連れられて浅草へ遊びに来た。
そこで人生が変わった。
『初めてオペラを見て、すごく感動して。内容もだけど、女優さんたちが特別に輝いて見えて。あたしもあんなふうに、埋もれない人間になりたいなぁって思ったの』
女優として舞台に上がれるなら何でもやる。そんな覚悟で、次の日には奉公先を辞めて紅歌舞団の門をたたいたという。
独楽子は、マメの話を思い返しながら、鉛筆を走らせた。
紅歌舞団に所属する俳優、女優たちは、劇場近くにある古い長屋に寝泊まりしている。ひと部屋で何人もが雑魚寝する形である。
そもそも世間ではまだ西洋の舞台文化が理解されていない。女優にはふしだらな職業という偏見が色濃く残る。劇団にいる女優の中には、勘当されて帰る場所のない者も多い。
それでも彼女たちは舞台に命を燃やすのだ。その他大勢ではない、特別な星として輝くために。
「こんなもんかしら」
書き上がった原稿用紙の束を、机の上でトントンとそろえる。
と、近くの席にいた久我清隆が、首をのばして訊ねてきた。
「化け込みの新作かい?」
「えぇ。書き上げたばかりの一話よ。主筆は五話連載にするって」
「どれ――」
差し出された手に原稿用紙を渡す。彼は組んだ膝の上でそれに目を通した。
「いいね」
化け込み記事は、硬派を誇りとする東日の記者の間では反発も大きい。清隆はそんな中で独楽子を支えてくれる貴重な味方である。
「やっぱり独楽ちゃんはこういうのに向いてるよ。化け込み記事って、読者の好奇心を満足させるのはもちろん、共感を得るのも大事だから」
そのためには化け込み先にいる人間の人生を、片鱗でも引き出し、書かなければならない。それができれば臨場感が出る。読み手の興味をかき立て、自分のことのように共感を覚えさせ、先が気になる気持ちにさせる。畢竟、人気につながる。
それが清隆の持論のようだ。
「この記事は、うまくすくい取ることができている」
「そう?」
原稿用紙を返しながら、彼は軽く笑った。
「政治、経済、事件の記事を書く時と、化け込み記事を書く時では、取材対象を見る目線がちがうんだって、君の記事を読んでいると感じる。たぶん俺を含めて、うちの他の記者は化け込み記事に向かないんじゃないかな」
「じゃあ私は、多彩な紙面を作る上で役に立てるってことね」
「そうかもしれない」
だったらうれしい。入社以来、女性というだけで嫌な目に遭うこともぼちぼちあるため、気落ちする時も多いけれど。自分がここにいる意味はあるのかと、心が揺れる時もあるけれど。
もしそうなら自信が持てる。それに独楽子には確信がある。
購買数を増やしたいなら、次にねらうべきは女性読者だろう。今まで男の読み物だった新聞に、女性にも手をのばしてもらうのだ。婦人記者はそのためにも必要不可欠。
「採用してよかったって、いずれみんなに思ってもらえるよう、とにかくがんばるわ」
前向きな言葉に、清隆は同意を示すように微笑みを残し、自分の仕事に戻った。
独楽子は書き上げた原稿用紙を手に取る。
いつか、巷で大きな話題になるような化け込み記事を書きたい。そして東日新聞にこの婦人記者ありと言われたい。
そんな決意を胸に、独楽子は主筆の机に向かった。
【おわり】