私の青い鳥(?)

紅紗族を代表して和南島から帝都『蓮陽』に渡って早半年。香瞳春は、まっさらな帳面を見つめて、深いため息をついた。
人が多く魑魅魍魎が跋扈すると言われる帝都に来れば、本物の妖怪に会えるかもしれないと思っていたが、ことはそう簡単ではなかった。
これでは、真に存在する妖怪だけを集めた志怪、真誌怪を製作するのは、夢のまた夢だ。
「……いつになったら本物の妖怪に会えるんだろう」
元気がない飼い主を見かねたのか、鷹の蓬蓬が瞳春の肩に乗ってきた。
「なに? 珍しい。私を慰めてくれるの? 蓬蓬」
蓬蓬は紅紗族の宗主である『緋凰』凌雀炎から事件解決の褒美としてもらった鷹だ。和南島と蓮陽を繋ぐ伝令として大活躍してくれているが、なかなか瞳春に懐いてくれないのが悩みだった。
「やっぱり、なんだかんだ言って蓬蓬も私を飼い主と認めて……」
くれているのね。と言いかけた瞳春の頬を蓬蓬が突然蹴った。
「っだ! ちょっと、なにするのよ!」
白い頬に傷がつきそうになり瞳春は悲鳴を上げる。そんな飼い主を無視して、蓬蓬はバサバサと窓の外へ飛んでいった。
「こら、蓬蓬! どこへ行くのよ!」
瞳春が慌てて寮から出ると、ちょうど局長室から香綺国の第三皇子、珠怜永と、瞳春の暫定的相棒である英狼藍が出てくるのが見えた。
「しまった」
瞳春は瞬時に蓬蓬の狙いを察して冷や汗をかく。
「ピー!」
蓬蓬は一鳴きすると、大きく翼を羽ばたかせながら、怜永と狼藍の間に割って入った。
「蓬蓬! またお前か!」
狼藍が追い払おうとしたが、蓬蓬は素早く彼の手を嘴で突いて攻撃する。
「――っつ!」
とっさに手を引っ込めた狼藍を小馬鹿にしたように甲高い声を上げ、蓬蓬はちょこんと怜永の肩に乗った。
なぜか飼い主の瞳春よりも怜永に懐いている蓬蓬は、スリスリと高貴な頬に頭を擦り寄せて盛大に甘えている。
「やめなさい、蓬蓬!」
一部始終を見ていた瞳春は急いで二人の元へと走った。
「あんた、落ち込んでる飼い主を足蹴にして、湊王殿下に一直線に飛んでいくってどういうことよ! ――湊王殿下、申し訳ございません!」
恐縮して何度も頭を下げる瞳春に、怜永は苦笑する。
「いつものことだから、気にしないでくれ」
蓬蓬の突撃には慣れているのか、怜永の顔は穏やかだ。反対に不機嫌なのは狼藍だ。
「いいかげんにしろ、鷹を飛ばさないときは籠に入れておけと言っているだろう」
狼藍は再び蓬蓬を追い払おうとしたが、容赦なく頭に反撃を喰らい叫んだ。
「いたたた!」
「やめなさい、蓬蓬! この人は一応私の相棒なんだから!」
瞳春が怒鳴っても蓬蓬は言うことを聞かない。完全に敵と見なされた狼藍は蓬蓬に執拗な集中攻撃をくらい、痛みと怒りで今にも剣を抜かんばかりだ。
「――やめろ! 蓬蓬」
見兼ねた怜永が一喝すると、蓬蓬は何事もなかったかのように怜永の肩に戻った。すんっとすました表情が憎らしく思え、瞳春は歯噛みする。
「なんであんたは殿下の言うことしか聞かないのよ。――殿下……。いったいどのようにして、蓬蓬を手なづけたんですか? 私も努力はしてるんですが、元々この子は緋凰に飼われていたので気位が高くって、何をしても私には懐いてくれないんです」
ほとほと困って尋ねると、怜永は不思議そうに首を傾げた。
「私は特に何もしていないが……」
「……」
瞳春は眉間にシワを寄せて怜永と蓬蓬をまじまじと見つめた。
蓬蓬は三ヶ月ほど前に和南島からやって来たが、考えてみれば怜永の姿を一目見るなり懐いた節がある。まるで、運命の人に出会ったと言わんばかりだった。反対に、瞳春には素っ気なく小馬鹿にしたような仕草まで見せる。仕事は的確で遠く離れた和南島にまで正確に文を届けてくれるので、賢い鷹であることに間違いはないが、こうも自分に懐いてくれないと、いくら飼い主でもかわいいとは思えない。
もしや、この子は緋凰や皇子のように地位の高い人物を見極めているのだろうか。
そこまで考えて、瞳春は大口を開けて息を呑んだ。
「――はぁ! ま、まさか……!」
脳に一陣の風が吹いたような、ひらめきと衝撃だった。
今まで小憎らしいだけだった鷹が、キラキラと輝いて見え、瞳春はあまりの眩しさに、目を細めてよろめいた。
様子のおかしい瞳春に、狼藍が渋い顔をする。
「なんだ? またふざけたことを思いついたんじゃないだろうな?」
狼藍の皮肉を右から左へ聞き流し、瞳春はガっと蓬蓬を鷲掴んだ。
「ピー! ピー!」
大好きな怜永の肩から引き剥がされて、蓬蓬はこの世の終わりとばかりに鳴いて嫌がった。
「おとなしくして、蓬蓬! あんた……あんた、もしかして青鳥使だったの!?」
「始まった……」
「――青鳥使? なんだそれは」
生真面目に尋ねる怜永に狼藍は緩く首を振った。
「殿下、瞳春のことは放っておいてください。馬鹿な妄想が始まっただけですから」
「妄想?」
「聞き捨てなりませんね、狼藍! ほら。あなたもわかるでしょう!?」
いつも妖怪話を戯言だと一蹴する狼藍を見据えて、瞳春は蓬蓬を高く掲げた。
「見てくださいよ! 蓬蓬のこの賢さと気位の高さ! そして何より高貴な存在である殿下への並々ならぬ愛情! これは蓬蓬が青鳥使だと考えればすべて納得がいくんです!」
「だから、青鳥使とはなんだ?」
再度、怜永に尋ねられ、瞳春は早口で捲し立てた。
「青鳥使とは、遥か昔に位の高い仙女に仕えたと言われる霊鳥のことです! 人語を解し、知性が高く、主人を守護する忠誠心が高い鳥! そして何より、仙女の使いとして、知らせやお告げを人々に届けるありがたい妖怪……いえ、瑞鳥なのです!」
「そ、そうか……確かに蓬蓬は和南島と私たちを繋いでくれる賢い鷹だしな」
瞳春の迫力に押されながら怜永は頷く。瞳春は天にも舞い上がらんばかりに頬を紅潮させた。
「ごめんなさいね蓬蓬……! いつも小憎らしいあんたが私の真誌怪の第一頁を飾る貴重な存在だったなんて、私、全然気が付かなかったわ……!」
まさに灯台下暗し!
目をギラつかせて興奮する瞳春に、さすがの蓬蓬も怯えてバサバサと暴れた。逃げようとする鷹と格闘する瞳春を一瞥して、狼藍はそっと怜永の背に手を当てる。
「放っといて行きましょう、殿下。瞳春は妖怪好きが高じて、なんでも妖怪に見える病にかかっているのです」
「しかし……」
「相手にしてはいけません。本物の妖怪に飢えるがあまり、付き纏い気質のあるただの鷹を妖怪と思い込んでいるだけなのです。相手にするだけ無駄です」
変人から子供を守るように、狼藍は瞳春から怜永を遠ざける。
そんな二人に気がつかず、瞳春は蓬蓬を愛情いっぱいに抱きしめた。
「ピーピー!!」
「鳴かないで蓬蓬! もう正体を隠さなくてもいいのよ! 私だけがあなたをわかってあげられるんだから!」
「ピー!!」
ブチギレた蓬蓬から激しい足蹴りを喰らい、瞳春の頬に鷹の爪痕が走る。
「いたあ! 怖がらないで蓬蓬! あなたが青鳥使だってことは誰にも言わないからー!」
わけのわからないことを言いながら鷹と取っ組み合いをする瞳春を遠巻きに見つめ、狼藍はため息混じりに怜永に向かって拱手した。
「殿下……。瞳春の面倒はもう見切れません。こんなことは言いたくありませんが、緋凰は特使の人選を誤ったのでは?」
「そんなことはないだろう……。たぶん」
自信なさげに怜永が返すと、蓬蓬は瞳春の手から逃れて空高く舞い上がった。
「待って、待ってー! 蓬蓬! 私の青鳥使ー!」
瞳春は絶叫して蓬蓬を追い回す。
これはたまらんとばかりに、蓬蓬は和南島に向かって飛び去ってしまった。
「蓬蓬ー!」
真誌怪の輝かしき第一頁が、無情にも大空の彼方へ消えていく。
すべてが自分の勘違いだったと瞳春が気づくのは、家出した蓬蓬が二日後に帰ってきてからだった。
蓬蓬の足に結びつけられた竹筒の中には、凌雀炎からの文が入っていた。
何度も言うが蓬蓬は賢い。奴は雀炎の前でこれ見よがしに元気をなくし、蓮陽に帰るのを嫌がったあげく、餌も碌に食べなかったらしい。
見兼ねた雀炎が、飼い主としての責任を書き連ねたお叱りの文を瞳春に書いたことで、ようやく蓬蓬は蓮陽に帰ってきたのだ。
「緋凰……。いつも素っ気ない文ばかりなのに……。こんな時だけ紙からはみ出す勢いでビッチリと……」
思いもよらないことで雀炎に叱られた瞳春は、呆れ半分で蓬蓬を一瞥した。
蓬蓬はしてやったりとばかりに甲高く鳴いて、瞳春の頭の上でピョンピョンと跳ねる。
鷹が喋れたら、きっと「ざまぁ、みろ」とでも言っていることだろう。
思わず奴の羽を毟りたくなったが、瞳春はぐっと耐えた。
「いいわ。わかった……。あんたが緋凰の笠を着るなら、私は湊王殿下を人質にとる」
「ピ!?」
「飼い主の責任として、あんたをもう二度と籠から出さない。湊王殿下にも一生会わせないから!」
高らかに宣言すると、蓬蓬は衝撃を受けたかのように「ピー!」と鳴いた。
「私、知ってるのよ。鷹の苦手なもの! ギラギラ反射して光るものや、薔薇の匂いや薄荷もだめなのよね? 薔薇と薄荷は匂い袋にして、反射するものは光沢のある金属に細かい硝子を幾何学に貼り付けて、髪飾りや腕輪にして身につけてもらうわ! 魔除けだとでも言っておけば簡単なことよ。紅紗族の知恵を総動員して、あんたから殿下を守るから覚悟してなさいよ!」
蓬蓬は絶望のあまり瞳春の頭の上から滑り落ちた。
実に無駄なことで紅紗族の叡智をひけらかす瞳春に危機感を覚え、蓬蓬は妖水老師の志怪を引っ張り出してきた。懸命な蓬蓬は青鳥使の頁をめくって何度も嘴でつつく。
しかし、瞳春はフンッと鼻を鳴らし「今さら青鳥使のふりをしたって遅いのよ」と一蹴した。
「ピー……」
完全に敗北した蓬蓬は、がっくりと肩を落として自ら籠の中に入ってしまった。
殊勝な蓬蓬を見て、瞳春は溜め息をつく。
「あんたがそうやって言うこと聞いてれば、私だって殿下を人質にとるようなマネはしないわよ。わかった?」
「ピー」
ついほだされて優しく声をかけると、蓬蓬は潤んだ目で瞳春を見上げた。何度か頷くような首の動きを見せたので、瞳春はクスリと笑った。
「私も悪かったわ。蓬蓬。これからは仲良くしましょうね」
こうして、大人げない飼い主と、小賢しい鷹の攻防は一旦の落着をみた。――のだが、平和になったのも束の間、三日後には何事もなかったかのように元気よく怜永へ突撃する蓬蓬の姿があった。
怜永の周囲の人間を邪魔だとばかりに攻撃する蓬蓬を見て、瞳春は思った。
なんで、あんなバカな鳥を青鳥使などと勘違いしたのか。あのときは本当におかしくなっていたとしか思えない。
自分に呆れて立ち尽くしていると、英狼藍がスッと横に来て呟いた。
「これが本当の鳥頭だな」
【おわり】