モーニングルーティン


‌ 朝五時。
‌ 目覚ましなどかけずとも、毎朝『彼』は目を覚ます。
‌ 俺はといえば、勢い良くカーテンが開くシャッという音と、外の明るさに(いや)(おう)なく目覚めさせられる。とはいえまだ半分寝ぼけているのだが、抱き上げられ(ほお)()りをされる際の、ジョリ、という(ひげ)の感触に鳥肌が立ってようやく本格的に覚醒することになる。
‌「マカロンちゃん、おはようございまちゅー」
‌ 寝起きだというのにやたらとテンションが高い。またもジョリジョリの頬を頬に押し当てられたあと、チュッチュッと煙草(たばこ)のにおいのするキスが浴びせられる。そのままトイレまで抱いていかれ、熱い眼差しを受けながらの(はい)(せつ)。出るものも出なくなりそうだが、既に慣れつつある自分が怖い。
‌ そのあとが朝食タイムだ。安月給だった俺からするとこれは飾っておくものなのでは? としか思えないお高いブランドものの皿に、ちょろりと盛られた食事。食べているときも(もち)(ろん)凝視状態が続く。
‌「おいちいでちゅか? マカロンちゃんは食べている姿も本当にかわいいでちゅねー」
‌ うっとりした低音ボイスをBGMに食事を終える。貧乏舌ゆえ高級フードは口に合わないという主張が通り、今与えられているフードの味には満足しているので一言「ワン」と礼を言うと、またも抱き上げられ、顔中にキスの雨を浴びせられる。
‌「朝から本当に可愛いお声でちゅねー! もう一回、パパに聞かせてくだちゃいー!」
‌ いや、お前、父親じゃねえだろ、と心の中でツッコミを入れつつ、一声吠えてやると、またもキスの雨。どうやったらキスを回避できるのか、改善策を誰か教えてほしい。
‌ そして散歩。その前に『今日のコーディネート』と称したお着替えタイムがあるのだが、これがまた面倒なことこの上ない。しかも着せられる服がピンクや水色のフリフリというメルヘンチックなものばかりで、俺の趣味とはかけ離れているのがまたつらい。
‌ 俺の着替えが終わると『彼』が秒で仕度を済ませ、散歩にでかける。これが毎朝大がかりで、ボディガードが六人もつく。
‌『彼』をはじめボディガードも皆、サングラスをかけ、ダークカラーのスーツでビシッときめているのだが、そんな集団、通報案件以外の何ものでもない。最初のうちは一一〇番通報もかなりあったそうだが、すぐにスルーされるようになった。(しょ)(かつ)とはどうやらズブズブの関係であるようだ。
‌ そうも大がかりになるのは、対立組織が(ひん)(ぱん)に鉄砲玉を送ってくるからで、今までにも散歩中に何度も襲撃された。さすがといおうか、最初に気づくのはボディガードではなくいつも『彼』で、即、抱き上げられる。
‌「右から来るぞ」
‌ 昨日も、俺を庇いつつ彼がそう告げた数秒後に本当に右から()(げき)され、さすが、と感心させられた。野生の勘が働くのかもしれない。
‌ 一度、俺が軽く怪我したことがあったのだが、そのときの鉄砲玉やその組織への報復っぷりは(ひつ)(ぜつ)に尽くし難いほどのえげつなさで未だに背筋が凍る。
‌ 早朝だというのに叩き起こされた俺の主治医は、(かす)り傷だというのに大泣きする『彼』を(なだ)めるだけで大変そうだった。
‌ (ちな)みに主治医は既に三人、かわっている。万が一にも俺の健康を害することにでもなろうものなら、という『彼』からのプレッシャーに耐えられなくなるからである。いや、本当に申し訳ない。俺が悪いわけではないのだが。
‌ 緊張感溢れる散歩を終えると『遊び』の時間が始まる。これがまた、俺にとっては苦痛なのだ。一〇分でも一五分でも遊びの時間はとったほうがいい、と、ものの本に書いてあったらしく、デレデレの『彼』の出勤時間まで延々、ボール投げやらパズルのようなおもちゃやらで遊ぶことを強要される。ここを開くと餌が入っている系のおもちゃは、即回答するとキスの雨とわかったので、わざと間違えたり戸惑ったりするのだが、そんな姿もまた可愛いとキスされるのであまり意味はなかった。
‌ その後、ようやく『彼』の出勤となるのだが、毎度毎度、永久の別れですかというくらいの号泣っぷりで、若い衆は皆、引いているのではないかと思う。さすがにもう慣れたかもしれないが。
‌「というのが俺の毎朝のルーティンなんだ」
‌ ここまで俺の話を聞いていたカイの口はあんぐりと開いていた。
‌「なんていうかお疲れ」
‌ 他に言葉がなかったようで、そう告げたあと、なんとかフォローをと試みたようだ。
‌「で、でもまあ、留守番中はのびのび過ごせるんだろう?」
‌「世の中には『ペット用カメラ』というのがあってだな」
‌ しかもカメラは一台ではない。ありとあらゆる角度から俺の姿を追い、少しでも心配事項があると『彼』は(わか)(ばやし)は飛んで帰ってくるのである。
‌「朝から一度も水を飲んでいないというレベルでだぞ」
‌「そ、それは愛が重いな」
‌ 心底同情したようにカイはそう言い、俺の肩をぽんぽんと人差し指で軽く叩く。と、いきなり探偵事務所のドアが開いたかと思うと、噂の『彼』がやってきてカイを怒鳴りつけた。
‌「ワレ、マカロンちゃんの肩ポンポンとか、百万年早いんじゃ」
‌ 俺ですらまだしたことがないのに、と悔しがる若林を見て俺とカイは顔を見合わせ、やれやれと溜め息をついたのだった。

‌【おわり】