思い出は美しすぎて
「あ」
叔父から久々に来たメールで、事務所のデスクの引き出しに入っている書類をスキャンして送ってほしいと頼まれたため、引き出しをあさっていた俺の口から思わず声が漏れる。
「どうした? カイ」
今日は依頼人も来ないため、来客用のソファでくつろいでいた三上が――見た目は可愛らしいトイプードルの彼が、ひょい、とその可愛らしい顔を上げ、問いかけてきた。
ちなみに三上の描写に『可愛らしい』を使いすぎているという自覚はあるので安心してほしい。いや、自覚があったほうが問題なのか。
そんなことはさておき、俺は今デスクの中から見つけたものを三上に示してやった。
「懐かしい写真が出てきたんだ。これ、覚えてるか?」
俺が見つけたのは、生前の三上と俺が肩を組み、笑っている写真だった。二人とも明らかに酔っ払っている。場所はキャバクラだったか。派手な化粧をしたキャバ嬢が見切れて写っていた。
「忘れるわけがない。二人して昇任試験に受かったときのセルフ打ち上げの写真だよな」
三上が懐かしそうな声を出しつつ、ぴょん、とデスクの上に飛び乗ってくる。
「そうそう。キャバクラ行ったのに二人でずっと喋ってて、気づいたら俺らのテーブル、キャバ嬢いなくなってたんだよな」
「それでいて結構な金、とられた記憶がある」
「でも二人とも酔っ払ってたから気持ちも財布の紐も緩んでて」
「仕事しつつの勉強は大変だったから、受かったときの喜びが大きかったんだよな。懐かしいなあ」
三上と二人、しみじみと当時を思い出す。
昇任試験を一緒に受けようと誘ってくれたのは三上だった。俺はあまり乗り気ではなかったのだが、三上に説得されたのだ。
「警察はあからさまな縦社会だから、偉くなっておいて損はない」
出世欲というよりは、自分を通すために、という彼の言葉に俺は、その発想はなかった、と感心した。
親父は刑事で、無能なキャリアの捜査指揮のミスで殉職することになった。捜査に追われ、昇任試験を後回しにしていた親父は死んで二階級特進となったが、酷く虚しかったことを覚えている。
それもあって昇任試験には消極的だったが、三上に言われて目から鱗、と思ったのだった。
勿論上を目指すのにも限界はあろうが、それでも少しでも上の階級にいたほうが自分の意見を通せる確率は上がる。
俺たちが二人して試験を受けるというので、先輩刑事たちからはかなり嫌みを言われたが、仕事をきっちりこなすことで彼らの口を塞いだ。
一人ならもう来年でいいか、と諦めていたところだったが、三上と二人して互いを鼓舞し合い、試験を乗り切ることができた。
「合格したときは嬉しかったなあ。しかも二人して。俺だけ落ちてたらどうしようかと思ってたよ。勿論笑って『おめでとう』とは言うつもりだったけど」
思い出を語る三上の可愛らしい黒い瞳が潤んでいる。
「それは俺の台詞だよ。どう考えてもお前のほうが優秀だったし」
俺は座学は少々苦手なのだ。暗記物は特に弱い。
そういえば俺も、二人で受けたはいいが、俺だけ落ちたらどうしよう、と発表前に考えたなと当時を思い出した。
きっと三上は気を遣うだろうから、先に笑い飛ばさなければ。俺も来年頑張るよ、さあ、お祝いしようぜ――とシミュレーションまでしていたのだった、と、思わず噴き出す。
「どうした?」
「いや、お前だけ受かったときのことを想定して『おめでとう』と言う練習をしていたことを思い出してた」
「あ! 俺もやった! 鏡見て練習もした」
「俺はそこまではしなかったかな」
「嘘だね。カイならするはずだ。自撮りで録画もしてたはず」
「するわけないだろ。あ、ってことはお前、やってたんだな?」
「してないよ、さすがに」
「嘘だ。やっただろ?」
二人して言い合ううちに、どんどん当時の記憶が蘇ってきた。
「おやっさんが焼き肉屋でお祝いしてくれたんだよな」
「いい上司だったよな。俺たち、遠慮もしないでバクバク食っちゃって」
「だんだんおやっさんの顔が引き攣ってきたのに俺は気づかなかったけど、三上は気づいてたってあとから教えてくれたよな。てか気づいたんならそのとき言えよ」
「俺もまだ食い足りなかったからさ」
「おやっさんには悪いことしたよな」
あはは、と笑い合ったあと、ふとした沈黙が室内に流れた。
「……あのままずっとおやっさんの下で、二人して刑事を続けていられたら……」
ぽつ、と三上がそこまで呟き、あ、と何かに気づいた顔になった。
「なんてな。あの頃だって充分、キツかったの、思い出補正で忘れてるよな」
敢えて明るい声を出す三上の気持ちがわかるだけに、俺もまた無理して明るく笑い飛ばす。
「そうそう。思い出は美化されるからな。山田さんの嫌みに俺はいつも陰で切れてたし、お前はおやっさんが日和見だって陰口叩いてたし」
「お前だって叩いてただろ? 捜査会議のあとによく」
「悔しい思いもたくさんしたよな。肉体的にもキツかった」
「絶対過労死すると思ったもんな……」
三上が笑って言ったあと、またも、あ、と気づいた顔になり口を閉ざす。
ここは『過労死じゃなかったな』――と笑い飛ばしたほうがよかったか。またも不意に訪れた沈黙が俺にそんな思いを抱かせた。三上と二人して顔を見合わせ、それぞれに小さく溜め息を漏らし、苦笑する。
「……ま、今もこうして一緒にいることにかわりはないしな」
三上が笑顔でそう言い、可愛く頷く。
「そうだよな」
俺もまた笑って頷いたが、本当にそうだ、と心の中でしみじみとこの僥倖を噛み締めていた。
二度と会えないと思っていた三上とまたこうして二人で馬鹿話をしている。刑事ではなくなったが、探偵業を力を合わせて――概ね彼の力を借りている気がしないでもないが――行えているのも実に喜ばしいことだ。
「きっと何年か経ったとき、この『思い出』も素晴らしく美化されるぜ」
三上がそう、ふざけて笑う。
「どう美化されてるのか楽しみだな」
敢えて美化されずとも、こうして可愛い――本当に言い過ぎだと少なからず反省した――トイプードルの三上と笑い合った日々は充分、『美しい思い出』だ。そんな俺の心の中を覗いたかのように三上は、そのとおり、と笑うと、
「カイ!」
と可愛く――ああ、俺としたことが――吠え、俺の腕の中に飛び込んできたのだった。
【おわり】