HAPPY BIRTHDAY
集英社オレンジ文庫10周年フェア『相棒は犬』(愁堂れな)スペシャルショートストーリー
「カイ、お願いがあるんだけど」
三上が上目遣いでそう告げたとき、あまりの可愛さにズキュン、と胸を射貫かれながらも、とてつもなく嫌な予感に見舞われた。
刑事を辞めて二年以上経つがこうした危機管理能力的な勘は衰えていないようだ。
「……聞くだけ聞いてやる」
こんなにあざとく頼んでくる依頼の内容が、俺にとって容易なものであるはずがない。とんでもないことを頼まれると覚悟しつつ、そしていくら親友の頼みであっても断るときには断らないと、と気持ちを強く持ちつつ、三上にそう告げる。
可愛らしいトイプードルに転生した三上は、どんな表情も愛らしい。が、一瞬、忌々しげに舌打ちしたことを見逃す俺ではなかった。まあ、そんな顔も充分愛らしいのではあるが。
「やっぱりとんでもないこと頼もうとしてたんだな、お前」
「違うよ……いや、うん、違うはず」
三上のつぶらな瞳が泳ぐ。そんな顔も本当に愛らしいのだが――っていい加減しつこいか――俺が睨みつけると、どうやら作戦変更を考えたようで、愁いを含んだ表情となり問いかけてきた。
「カイは俺の命日、覚えてくれてるかな?」
「忘れるわけないだろ。八月八日だ」
うだるような暑さの中、華々しく行われた警察葬を忘れるわけがない。
華々しければ華々しいだけ虚しかった。こんな葬儀よりちゃんと捜査させてくれ、と悔しさに唇を噛み締めながら、壇上で弔辞を述べる警視総監を睨んでいた。それを忘れるはずがないだろう、という思いが伝わったのか、三上は、
「カイ……」
と感極まったように俺の名を呼び、俺たちは暫し見つめ合った。が、三上はやがて我に返った様子となると、
「で、その命日が今の俺の誕生日なんだよ」
と明るい口調でそう言い、頷いてみせた。
「なるほど。生まれ変わりっていうのはまったくタイムラグがないものなんだな」
なんとなく、魂の休息期間みたいなものがあるのかと思っていた。死後の世界については想像することしかできないが、実際どうだったのだろうと、聞こうとしたのがわかったのか、俺が口を開くより前に三上が話し始める。
「転生の詳細についてはさておいてだな、今度めでたく三歳になるわけなんだが、その誕生日会に、カイ、お前を招待したいんだ。応じてくれるよな?」
「なんだ、そんなことか」
もっと特殊なお願いかと思っていた、と拍子抜け状態となっていた俺に、三上がおずおずと声をかけてくる。
「……ええと……『そんなこと』と勘違いさせたまま引き受けてもらうほうが俺としては助かるんだが、良心の呵責に耐えかねるから、先に言っておく」
「何を?」
大仰だな、と笑いそうになった自分を俺は次の瞬間、笑っている場合かと心の中で叱咤することとなった。
「誕生日会の主催は言うまでもなく若林だ。俺を溺愛している彼が開催するパーティが大げさにならないわけがない。下手したら龍鬼会全員……二次団体三次団体含めて全員出席かもしれない」
「え」
「場所もホテルの宴会場ならまだしも、日本武道館とか下手したら東京ドームとかかもしれない」
「ええ」
「花火を上げたいといって屋根のない球場かも」
「えええ」
「……とにかく、物凄く大仰になりそうなんだ。プレゼントも含めて」
三上が憂鬱そうな顔となり溜め息を漏らす。そんな顔もまた愛らしい……って、真面目にいい加減やめておこう。これじゃ若林と一緒だ、と自分に言い聞かせつつ俺は、三上の意図を図りかね、彼に問いかけた。
「その大仰な誕生日会に俺が出ることに何か意味があるのか?」
「大仰にしたくないからお前を招待したいんだよ」
と、三上が、待ってましたとばかりに身を乗り出し――その仕草もかわい……ってやめるんだった――、俺に訴えかけてくる。
「そんな大仰な誕生日会はしたくない、パパとカイと三人だけでささやかに祝ってほしい……って、若林に伝えた上で、そうなるよう仕向けてもらえるか?」
「え――――――」
それはハードルが高すぎる任務だ、と俺は思わず非難の声を上げていた。
「頼むよ、カイ」
「若林はお前の誕生日を祝う気満々なんだろ?」
普段の様子からして、と確認を取ると三上がこくりと首を縦に振る。
「しかも俺を招く気なんてないよな? 普段からお前がここに来ることをあまりよく思ってなさそうだし」
「よく思っていないということはない。できれば行ってほしくないとは思っていそうだけど」
「言い方変えただけじゃないか」
フォローにもなってないぞ、と睨むと、三上は肩を竦めて口を尖らせ、上目遣いで――本当にキュートだ……と、しまった、また賞賛してしまった――俺に訴えかけてきた。
「お願いできるのはカイだけなんだよ」
「祝ってもらえばいいじゃないか。誕生日プレゼントだって貰えばいいさ。くれるって言うんだから」
既に俺たちは警察官じゃないから、ヤクザから何を貰おうが問題ないのでは。しかし三上からの返しは俺の予想を超えるものだった。
「マンション一棟とか軽井沢の高級別荘とかかもしれないんだぞ。俺が気に入っているドッグフードの会社を買収するかも。愛が重すぎるだろうが」
「……確かに重いっちゃあ重いよな」
「俺はもっとささやかでいいんだよ。何も返せる気がしないし……」
溜め息とともに吐き出された言葉に俺は、もし三上が彼の意識を持っておらず、ただのトイプードルだったらこうした悩みを持つこともないのだろうなと同情した。
可愛さは正義だ。お前が存在するだけで若林は嬉しいはずだ。だから大仰な誕生日会を開催する。重すぎる愛だが受け取っていればいいのだ――と、言うは易しだが、もし俺が三上の立場だったとしてもやはり躊躇するだろう。
「……わかったよ」
気持ちがわかるだけに捨て置くこともできなくなった。渋々承諾した俺に三上が飛びついてくる。
「ありがとう! カイ! 恩に着るよ!」
「期待するなよ? 自信ないんだからな」
そう返したあと、そうだ、と思いついたことを三上に告げる。
「お前が直接頼んだほうが効果的だと思うぞ。『誕生日会はパパと二人でしっぽり過ごしたいんだ』とかなんとか」
「いやー、二人はキツいよ」
三上が心底勘弁、という顔でそう言い、俺に甘えてくる。
「カイと三人で、小さな誕生日ケーキを囲みたいって言うことにする。いいだろ?」
「俺、いるか?」
「いる! 俺的にはいてもらわないと困る!」
頼む、と懇願されては断ることもできず、仕方なく俺は彼の誕生日会に参加を決めた。
「そういや俺たち、誕生日は一緒に祝われることが多かったよな」
刑事だった頃、同じ部署にいたベテランの事務員が、皆の誕生日当日にケーキを買って配ってくれていた。金は上司の西田に出させていたようだ。
「三日違いだったんだよな」
俺と三上の誕生日は近かったが、常にケーキは三上の誕生日に配られた。その際、三日後の俺もついでという形で祝われていたのだ。さすがに三日後にまたケーキの金を出すことを西田も断ったのではなかろうか。
「そうそう。たった三日しか違わないのに、星座が違うんだよな。ちょうど切れ目で」
「だから性格が違うんだろうって、毎年神谷さんに言われてたよな」
神谷さんというのがケーキを買ってくれていたベテラン事務員だ。俺たちの親世代で、それこそ息子のように可愛がってもらった。三上が亡くなったとき、誰より泣いていたのが彼女だったと記憶している。
「星座占いとかも好きで、朝のニュースでやっていたの、よく教えてくれたよな。『今日は三上君が一位よ』とか……ああ、懐かしいな。元気かな、神谷さん。まだいるよな? 定年まではもう少しあったもんな。会えるものなら会いたいぜ」
三上が懐かしそうな声を出す。
「……そうだよな……」
三上が可愛いトイプードルに生まれ変わったというのは紛うかたなき事実ではあるが、果たして皆、それを信じてくれるだろうか。
俺のスマホ経由で三上と話したら信じるか。信じたとしても次には、受け入れてくれるか否かという問題も出てくる。
若林や俺は容易に受け入れたが、皆が皆そうではないことは俺にも予測がついた。
警察の中にそんな人間はいないと信じたいが、マスコミにでも売られたら、今後三上が生きていくのに安息の保障はできなくなる。いや、若林が睨みをきかせれば大丈夫なのか。若林が切れそうな気がするので、そっちの意味で安息はなくなるのか。
いつしか俺は一人、うーん、と唸ってしまっていたのだが、三上に声をかけられ我に返った。
「……ともあれ、俺の誕生日会については頼んだぞ。お礼にお前の誕生日会もきっちりお祝いしてやる。それも若林と三人でしっぽり祝うのはどうだ?」
「いや待て。なぜに若林を招く?」
俺は勿論のこと、若林だって俺の誕生日を祝いたいわけがない。慌てて問い質した俺に三上がにやりと笑う。そんな顔も――ってもう、いい加減やめますね。と、俺は誰に宣言しているんだか。
「誕生日会に呼ばれたら呼び返すのが小学校のときからの決まりごとだろ」
「待て。それでいうと俺たちは若林の誕生日会にも招かれることになるぞ」
想像しただけでぞっとする。それまで俺を茶化していた三上も同じだったようで、二人して顔を見合わせたあとに深い溜め息を漏らす。
「……と、とにかく、俺たちは小学生じゃないってことで」
「ああ……若林も俺も大人だからな。誕生日会はやらない方向でいこう。まあ若林はお前に祝われたいとは思うが」
さぞ感激するに違いない。感涙に噎ぶ姿を軽く想像できる、と、ここで俺は先ほどのお返しと、三上をからかってやることにした。
「『プレゼントは、わ・た・し』と頭にリボンを結んで言ってやったらどうだ?」
「……カイ、やっぱりお前の誕生日も若林に祝ってもらおうか?」
「冗談だって。怒るなよ」
「まったく、他人事だと思いやがって」
文句を言う三上を笑ってなだめていた俺も、そして三上も、三人きりで地味に開催した彼の誕生日会で、金のかかるプレゼントは遠慮すると事前に告げていた三上に対し、若林本人が頭にリボンをつけた状態で『プレゼントは俺』と言ってくるところまでは、さすがに予測できなかったのだった。
【おわり】